PHILOSOPHY OF TECHNOLOGY

技術哲学 第7回
環境はいかに私たちを作るのか──ギブソンのアフォーダンスから考える技術の本質

まとめレポート(講義動画 1時間48分48秒より作成)

講座
makers Unlearn 2026(mU)
講師
染谷昌義(北海道大学 人間知・脳・AI研究教育センター)
進行
七沢智樹
開催日
2026年9月7日(月)

OVERVIEW概要

第7回の講師は、生態心理学の哲学を専門とする染谷昌義。大学教員を経て北海道に移住し、自らの生活資源を自ら生産する暮らし(ユンボで道づくりも!)を実践しながら研究を続けるという、テーマそのものを生きる哲学者である。問いはシンプルだ——「道具が変わると、なぜ私たちも変わるのか?」。この身近な問いから、生態心理学者J.J.ギブソンのアフォーダンス概念を経由して、技術の本質へと降りていく。

入口は『絶滅危惧動作図鑑』。マッチを擦る、切符を切る、黒電話をかける——道具の変化が動作を絶滅させ、技能や生き様まで変えることを笑いとともに体感してから、行為は〈人+環境〉から生まれるという生態学的な見方へ。アフォーダンスとは環境が生き物に差し出す「できる」であり、環境は行為を誘うが、強制しない。この観点から道具とは「環境の改変・構造化」——アフォーダンスを選び、目立たせ、配置し直すこと——だと捉え直され、リードの生態心理学、そして第4回で村田純一が語った西田幾多郎の「作られたものから作るものへ」と響き合っていく。

終盤は現代への問題提起が鋭い。テクノロジー化した環境は世界を「メニュー化」し、私たちの経験を「あらかじめ用意された選択肢から選ぶこと」に縮めていく——AIエージェントの普及でこの傾向はさらに加速する。それでも環境は強制しない。「生命の技芸(art of living)」をどのように発揮し、どんな生を育むのか。誰に、どんな行為の可能性を開くために、環境をどう改変するのか——mUの「つくる」の問いに正面から接続する回となった。

タイムスタンプは講義アーカイブ動画の再生位置です。スクリーンショットは講義スライドの引用(©染谷昌義)。グループワーク(ブレイクアウトルーム)部分はアーカイブでは省略しています。受講生の氏名・発言は特定できない形に編集しています。

CONTENTS講義の内容

1. 導入──今日の問いと4部構成0:00–10:30

七沢の導入と染谷さんの自己紹介。AIブーム下の情報工学から哲学へ転じ、ギブソンの生態心理学と現象学を修め、いまはアニマシー心理学・生態学の哲学として粘菌や単細胞生物まで「追っかけ」る。今日の問いは「道具が変わると、なぜ私たちも変わるのか?」。目的は2つ——①「技術とは何か」を具体的な問い「道具とは何か」から考える。②道具を身体・環境・生命のつながりとして捉え直す。

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8:12レクチャーの目的:「道具とは何か」から考え、環境(道具・技術)によってつくられる私たちへ。

2. 『絶滅危惧動作図鑑』──道具が変わると生き様が変わる10:30–20:47

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10:30藪本晶子『絶滅危惧動作図鑑』(2021)。動作の絶滅危惧レベルを★で評価。

マッチを擦る(★5)、切符を切る、五右衛門風呂をかき混ぜる、黒電話のダイヤルを回す、テレビのアンテナを立てる、イヤホンのコードをほどく——新しい道具の登場は、それまでの動作を絶滅させ、新しい動作を生む。洗濯機、ガスレンジ、自動改札、プッシュ電話、自動運転。そして道具は電子工学や電力供給、法律・条例、サービス設計といった技術と制度の組み合わせで成り立っている。動作が消えるとき、失われるのは動作だけではない。技能・判断・身体感覚・伝承の仕組み・文化まで消え、同時に新しい動作・技能・習慣が生まれる。道具の変化は行為の可能性を組み替える環境の改変であり、生き様の絶滅と創造なのだ。

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18:44動作が消えると、技能と生き様も変わる——道具の変化は環境の改変(アレンジ)。

3. アフォーダンス論──環境が差し出す「できる」20:47–38:01

行為は〈人+環境〉から生まれる。歩く・走る・立つでさえ、人が身体を動かすだけでなく〈人+大地・床+重力〉の共同作業である。素朴な疑問から入る——なぜ障害物を避けながら歩けるのか。どうしてボタンは押したくなるのか。ドアノブの形に合わせて握り方を変えられるのか。私たちは周囲から「何ができるか」を知覚している。この行為の可能性こそ、ギブソン(1904-1979)の言うアフォーダンスである。

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30:29アフォーダンス=環境が差し出す「できる」。生物はアフォーダンスを知覚し、行為はそれに応じて組み立てられる。

ほぼ水平で、平らで、動物の大きさに対して十分な広がりを持ち、頑丈である表面は「支えること」をアフォードする——大地や床がそうであるように。ナイフは切ること・削ることをアフォードする。ただし重要な注意がある——環境は行為を誘うが、強制しない。環境は「何ができるか」をアフォードし行為の機会を差し出すが、行為の原因ではない。主語は環境、目的語は動物・人間。この見方は、環境が差し出す可能性の中で行動が選択されるという進化論の考え方ともマッチする。

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34:26環境は行為を誘うが、強制しない——アフォーダンスは行為を誘うが、行為の原因ではない。

4. 道具・技術の誕生──環境の改変としての技術38:01–54:18

環境=アフォーダンスの集合という観点から、道具とは何か。参照するのはリード『アフォーダンスの心理学』第8章「ヒトの環境」。人間は集団的・歴史的に周囲を作り変えてきた——道具とは環境の改変・構造化であり、周囲にある膨大なアフォーダンスから特定のものを選び出し、目立たせ、組み合わせ、生活に資するように配置することである。新石器時代前期の人類が利用した周囲のモノ・物質(木、石、泥、骨、皮膚、繊維…)の持つ性質が、壺、紐、道具のアフォーダンスを支えた。環境の編集は3方向に及ぶ——①モノの変形(道具、調理、部屋のレイアウト)、②場所の変形(住居、調理場、ゴミ捨て場、墓場、道)、③出来事の変形(種まきと収穫、起床と就寝、儀礼)。こうして構造化された環境が日常の課題(ワーク)を固定し、知覚と行為をルーティーン化して、日常を方向づける。

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54:18環境と人間は、相互につくり合う——人間は環境を改変・構造化し、環境は人間の行動・経験・生活を方向づける。

5. 作られたものから作るものへ──西田との再会54:18–63:00

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57:03人と環境は「作られたものから作るものへ」循環する——西田幾多郎(1939)「絶対矛盾的自己同一」、第4回・村田講義への接続。

人工物は、ヒトの作った人工物によって知られる。ヒトは職人であり工芸家であり技芸術家であり、技芸の創造者である——ギブソン『生態学的知覚システム』のこの一節は、「かかる世界〔現実の世界〕は、作られたものから作るものへと動き行く世界でなければならない」という西田幾多郎の言葉と重なる。人は環境をつくり、その環境が人の身体と技能をつくる。技術は、この循環に生じる創造的ポイエーシスである。ここで最初のブレイクアウトへ——お題は「スマートフォンは、どんな行為の機会/アフォーダンスを差し出しているか?どんな動作・技能・生き様が絶滅したか?スマートフォン環境を設計しているのは誰か?」。共有では「スマホのアフォーダンスは輪郭を結ばない——何でもできてしまう」という鋭い観察が飛び出した。

6. 技術はいかに行為と経験を設計するか──技術哲学との接続63:06–74:18

後半は技術哲学への接続。4つの論点が提示された。①身体の拡張・補填・身体化——地図やナビは使用中、身体の一部となり(透明性・媒介性)、能力を拡張する(サイボーグ化)。②道具の連環——道具は「〜のために」という指示連関でつながり、そのネットワーク全体が人間の住む世界を支える(ハイデガーの道具論、第3回への接続)。③社会文化的性格と歴史性——道具の連環は物質資源・労働資源・知識・価値観に支えられ、時代や地域の事情に左右され、人々集団によって改変されながら次世代に継承される。④政治性・権力性——道具の製作・利用制限・半強制的使用は人々の行動と経験を方向づける(パノプティコン、電子申請、ナッジ)。強靭な道具の連環による総駆り立て体制はゲシュテルそのものだ(第3回・岡田講義への接続)。

7. 世界のメニュー化──経験と行為は成長しない74:18–78:21

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74:18世界のメニュー化——テクノロジー化された環境・世界(リード2010『経験のための戦い』)。

リードの問題提起が本講義のクライマックスである。テクノロジー化した環境では、労働者も消費者も学生も、リアルな選択——行為を計画し評価することから生じる選択——ではなく、システムをデザインする者たちが差し出すオプション・メニューの中から選ぶことを迫られる。あらかじめ決められた選択だけでは、経験と行為は成長しない。環境・モノ・人との関係を自分で変える経験が減り、選択肢から選ぶことだけが「経験」になっていく——選択肢そのものを自ら探索し、発見し、時には創造する機会をなくした環境のなかでは。

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75:49あらかじめ決められた選択だけでは、経験と行為は成長しない——リードの問題提起。

8. 対話──AIエージェント時代の「選択」78:21–104:38

七沢が強く共鳴する。テクノロジーが出てきた当初は選択肢の拡大に見えたが、いまや生まれたときから「選択されている状態」で育つ。AIエージェントの普及は、この「ジャラジャラと差し出されるメニューから選ぶだけ」の構造をさらに極端にする——進路面談の選択肢も、健康アプリの歩数目標も、人工的に作られたアフォーダンスだ(ナッジと行動経済学)。それをいかにアンラーンするかがmUの核心につながる。染谷さんは「生態学的視点から、技術とは?」と締める——生きること・生命過程とは、環境(アフォーダンス)を利用して技能(行為・道具・モノ)と場所と出来事をつくり、使い、つくりかえ続ける過程であり、技術とはart of living(生命の技芸)である。総括の問いかけは3つ:誰に、どんな行為の可能性を開くのか。どんな技能・経験、どんな生き方を育てたいのか。そのためには、環境をどのように改変するのがよいか。対話ではサイボーグ化の可能性、ダークパターン(悪しきアフォーダンス設計)まで話題が広がった。

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92:15生態学的視点から、技術とは?——技術はart of living(生命の技芸)。

9. 結び──インコと私たち104:44–108:48

最後のブレイクアウト後、七沢が自室で聞いた話を紹介する。「最近つくることができていない」という受講生が飼っているインコは、紙を渡せば夢中で何かを作っている——「インコと俺はあんまり変わらないじゃないか」。できそうな物があるとつい作りたくなる。庭から粘土が出てくれば焼きたくなり、鶏がいれば小屋を作りたくなる。旧石器時代から変わらない身体は、環境に応じて「アフォード」され続けている。フィールド講義で自然の中に出れば、その身体性はきっと呼び出される——。次回・最終回(9/14月)は原島・七沢による総括ディスカッション回である。

SUMMARYまとめ

  1. 道具の変化は生き様の絶滅と創造マッチ、切符切り、黒電話——道具が変わると動作が絶滅し、技能・判断・身体感覚・文化まで組み変わる。道具は技術と制度の組み合わせで成り立ち、その変化は行為の可能性を組み替える「環境の改変」である。
  2. 行為は〈人+環境〉から生まれるアフォーダンスとは環境が生き物に差し出す「できる」。私たちは周囲から「何ができるか」を知覚し、行為はそれに応じて組み立てられる。ただし環境は行為を誘うが、強制しない。
  3. 道具とは環境の改変・構造化膨大なアフォーダンスから特定のものを選び出し、目立たせ、組み合わせ、配置すること。人間はモノ・場所・出来事を編集して環境を構造化し、構造化された環境が知覚と行為をルーティーン化して日常を方向づける。
  4. 人と環境は「作られたものから作るものへ」循環する人は環境をつくり、環境が人の身体と技能をつくる。技術はこの循環に生じる創造的ポイエーシス——ギブソンと西田幾多郎(第4回)がここで出会う。
  5. 世界のメニュー化に抗うテクノロジー化した環境は経験を「用意された選択肢から選ぶこと」に縮める。あらかじめ決められた選択だけでは経験と行為は成長しない——AIエージェント時代にますます切実になるリードの問題提起。
  6. 技術はart of living(生命の技芸)生きることは、アフォーダンスを利用して技能と場所と出来事をつくり、使い、つくりかえ続ける過程。誰にどんな行為の可能性を開くために環境をどう改変するか——それが技術の問いである。

APPENDIXチャット付録

本回のZoomチャットは資料・フォームの案内が中心だったため、ブレイクアウト共有から議論に関わる論点を匿名の要約で採録する。

  1. スマホのアフォーダンスは「輪郭を結ばない」(受講生の共有)──手に持てる・画面で話せるはあるが、何でもできてしまうため一定の輪郭を結ばない。そこにはデザインされたアフォーダンスが編み込まれており、それがいかに私たちを駆り立てているかという後半の議論につながった。
  2. 「つくれていない」私とインコ(受講生の共有より)──紙を渡せば何かを作るインコと、できそうな物があるとつい作りたくなる私たちは変わらない。旧石器時代から変わらない身体は、環境に応じてアフォードされ続けている。
本レポートは、講義アーカイブ動画の自動文字起こしとスクリーンショットから生成したまとめです。発言の要旨は文字起こしに基づき編集していますが、細部のニュアンスは実際の講義動画をご確認ください。