OVERVIEW概要
第5回の講師は、技術哲学者ピーター=ポール・フェルベークの研究で博士論文を書いた大家慎也。七沢と5年来「技術哲学研究会」を共にしてきた若手研究者であり、高専でエンジニアの卵を育てる教育者でもある。テーマは「技術は私たちをどう形作るのか。それでも私たちは主体的でありうるのか」——第3回のハイデガー、第4回の社会構成主義・ANT・西田を受けて、いよいよ「技術によって作られる自分」に正面から向き合う回である。
講義は現象学の入門から始まる。フッサールの現象学を「一人称性」と「志向性」という2つの観点に絞って手ほどきし、その土台の上にフェルベークのポスト現象学——「私→技術→世界」という図式と技術的媒介の理論——を積み上げていく。さらに道徳的主体化(人間は熟慮して技術を使い、自分らしく生きられる)と道徳的設計(設計とは物質を介した倫理の実施である)まで、フェルベーク倫理学の全体像を4つの講義パートで踏破した。
この回の際立った特徴はワークの多さである。スマホを手に取って「どう現れているか」だけを書く、「雨が降ってきた」を生理学的/現象学的の2通りで書く、技術を1つ選んで媒介を分析する、なりたい自分を構想する、仮想の技術を設計する——計5つの手を動かす演習を通じて、哲学の概念が「使える道具」になるよう設計されていた。受講生がデザインやものづくりの実務者であることを強く意識した、mUらしい講義である。
CONTENTS講義の内容
1. 導入──「道具に作り変えられる私たち」に切り込む0:00–4:06
七沢の導入。ここまでの4回で受講生は「テクノロジーは人間が使う道具のはずなのに、どうも私たちのほうが道具によって作り変えられているらしい」という感覚を掴んできた。今日はまさにそこに切り込む回である。登壇した大家は、スマホでコミュニケーションが変わり、AIで仕事や勉強が変わるいま、「技術によって変わっていく自分」を哲学的に捉えたいと応じる。そして変わっていく自分の中に、変わらないもの、あるいは変わってもなお「自分」だと言えるコアはあるのか——これをやっているのがフェルベークのポスト現象学だ、と講義の照準を定めた。
2. 講義の目的と構成4:06–7:57
大家が掲げた到達目標は2つ。A:技術から自分がどのような影響を受けているかを自分の言葉で説明できる。B:技術を使う自分の「自分らしさ」「主体性」とは何かを自分の言葉で説明できる。哲学者の考えを哲学らしく深掘りするのではなく、受講生が「理解して、使えるようになる」ことを最優先する——そのために講義1〜4の間に毎回ワークを挟む構成が示された。
3. 講義①現象学とは──「経験」を分析する学問7:57–13:02
現象学はフッサールが創始した哲学で、一言でいえば人間の「経験」の分析である。知覚も行為も思考も感情も、買い物も散歩も喧嘩も——私たちが生きてやっていることすべてが「経験」であり、学問の対象になる。ではどう分析するのか。受容器から脊髄・脳へという生理学でも、観測データの物理学でもなく、フッサールは志向的関係という観点を採る。すなわち「私が」「世界について」経験するという関係の分析である。前者が一人称性、後者が志向性だ。
一人称性とは、経験がつねに「私にとって」現れるということ。「リンゴが見える」を生理学は「光を受け取り、電気信号に変換し、脳で処理して」と説明するが、現象学は「私にとって丸く見える、赤く見える、つやつやに見える」という私の感じ方——経験の質、感覚のあり方——を分析する。
4. 個人ワーク──スマホは、あなたに「どう現れているか」13:02–18:37
ここで最初の個人ワーク。スマートフォンを手に取り、それが「何であるか」「何に使えるか」は書かずに、あなたにどう“現れているか”だけを書く。「アプリ」「電話」など機能語は禁止。手触り、重さ、表面の滑らかさ……。興味深いことに、書かれる内容には共通性が現れる。人間は共通の身体を持つため、スマホを経験する仕方にはそこそこの一般性があるのだ。そして大家は強調する——重さの感覚、触った感覚、目に見える感覚とは完全にデザインの問いである。一人称性の分析は、使用体験(UX)の分析そのものなのだ。
5. 志向性──経験は「何かについての」経験である18:37–23:52
もうひとつの観点が志向性。経験はつねに世界の何かについての経験であるという「矢印」の性質である。同じ「リンゴが見える」でも、物理学が光や形の情報を分析するのに対し、現象学は「手に取ることができるリンゴ」「食べることができるリンゴ」という関わり方・意味の水準を分析する。画面に映ったリンゴが「リンゴだけど食べられるものとしては現れない」ことは、現れ方の分析の面白さを端的に示す。2回目の個人ワークでは、スマホを「誰の・どんな行為を可能にするもの」「どんな場面・社会的文脈を前提にするもの」として記述した——連絡する、調べる、撮る、つながる、決済する。これもまた、ユーザーが何をできるようになるかというデザインの語彙に直結する。
6. 現象学と自然科学の違い──妊婦と胎児の例23:52–28:58
現象学の独自性を際立たせる試金石として、大家は「妊婦であること」を挙げる。生物学は「胎児が母体内で成長していく過程」と記述するが、そこからは胎児が母親にとってどう現れているか——見えないけれどそこにいる、お腹の中で動く、内臓を圧迫する、じんわり張って温かい、私の中から社会に命が生み出される——という一人称性と志向性がきれいに抜け落ちる。これは生物学の欠陥ではない。生物学には生物学の、現象学には現象学のやれることがある。現象学とは、私から世界に向かう矢印を分析する学問である——この整理が、後半のフェルベーク理解の土台になる。
7. ワーク①──「雨が降ってきた」を2通りに書く28:58–36:27
最初のグループワーク。「雨が降ってきた」という経験を、①生理学的・物理学的な説明と、②現象学的な説明の2通りで書き、ブレイクアウトルームで共有した。共有後の講評で大家は「改善したほうがいい例」を3類型示した。「水蒸気が凝結して水滴となり重力で落下する」は自然科学的説明——一人称性が消え、志向性(雨が持つ意味)がない。「悲しくなった、落ち込んだ」は感情ラベルで説明を終えてしまっており、雨の何が自分にどう働いてそうなるのかを解きほぐしてこそ現象学になる。「雨は私の心を洗い流す涙のようだった」は文学——比喩は必ずしも同じことを伝えない点が文学の面白さだが、フッサールが取り出したいのは万人に通じる経験の一般的構造である。
8. 講義②フェルベークのポスト現象学──技術的媒介36:27–48:39
ここから本題。現象学が「私→世界」の志向的関係の研究だとすれば、ポスト現象学はその関係に技術が介入するという研究である。図式は「私→技術→世界」。今回扱うのは、オランダ・アムステルダム大学学長で、ユネスコ科学技術倫理世界委員会委員長も歴任したピーター=ポール・フェルベークのポスト現象学だ(読書案内として、その主著の全文訳であり現象学研究者・鈴木俊洋による翻訳『技術の道徳化』法政大学出版局が紹介された)。
取り出すべきポイントは4つ。①人間と技術がセットになって主体性(人間のあり方)を作る。②技術と世界がセットになって客体性(世界のあり方)を作る。③世界が人間に現れる仕方は、技術によって部分的に増幅され、部分的に縮減される。④人間の行為は、技術によって何かが誘引され、何かが抑制される。
具体例が胎児の超音波診断である。現象学的に考えられた胎児は「見えないけれどそこにいる」存在だった——日本語の「授かりもの」、英語の expecting(期待して待つ→妊娠している)という言葉にもその現れ方が刻まれている。だが超音波診断は胎児の経験のされ方を大きく変えた。目に見えるようになり、姿形や性別がわかり、名付けの実践が始まり、人間らしく感じられるようになる。同時に、染色体異常の検査対象として潜在的な患者にもなる。愛すべき赤ちゃんと治療されるべき患者——2つのイメージがぶつかり、カップルは葛藤し、さらなる検査や中絶などの選択へと誘引されていく。
技術的人工物は、中立的な中間項ではなく、能動的に、人間の世界内での存在の仕方の形成に参加している。——フェルベーク『技術の道徳化』p.16
9. ワーク②──技術は私たちに何をしているのか48:39–54:56
技術をひとつ選び、使用時の自分の知覚や行為を書き出し、「その技術がなかったら」どうなるかを考えるワーク。講評で大家は自身の分析例として天気予報アプリを示した。「なかったら不便」ではなく経験の構造の変化として明示する——朝焼けや空気の湿り気、地面の香りには注意が向かなくなり(縮減)、雨雲レーダーの色分布には常に注意が向くようになる(増幅)。雨の現れ方が変われば行為も変わる(今日は室内干しにしよう)。「アプリがなくても雨は同じように降る」と言ってしまうと、この変化を取り逃す。そして価値判断はまだしなくていい——現れ方がどう変わるかを記述することが分析の核心である。
10. 講義③道徳的主体化──熟慮して技術を使い、自分らしく生きる54:56–1:02:01
ここが「今日の話のメイン」。技術は知覚と行為に不可避の影響を与える。では人間は技術に操られるだけの存在なのか。これがフェルベークの一番大事な問いである。答えは否——人間は影響を受けるが、受けっぱなしではない。「人間は、媒介関係をもちいて、道徳的に主体化することができる」。大家の言葉に言い換えれば、人間は熟慮して技術を使って、自分らしく生きていくことができる。
超音波診断とうまく付き合うカップルを考えてみよう。性別だけ調べる、出産予定日だけ調べる、病気リスクも調べてもらう、あらゆるリスクを調べてもらう——自分たちが納得でき、後悔せず、自分たちらしくあるための使い方を、本人たちが考えて決めることができる。技術の影響を自覚した上で、診断を出産予定日を知るためだけに使うと決め、命を尊重するカップルに「なる」——なりたい自分になる自由を持ち、その責任を負う。実はフェルベーク自身、この分析の執筆中に妻が妊娠し、「使えば自分たちの胎児観が変わってしまう」と知っているがゆえに大いに悩んだという逸話が『技術の道徳化』に記されている(オチは本で、と大家)。
技術的媒介との関係の築き方を見出だすことで、技術的に媒介された道徳的主体は、技術との相互作用のなかで自身が形成される仕方を、能動的に「設計」したり「流儀として洗練」したりして、「自己への配慮」を遂行できるようになる。——フェルベーク『技術の道徳化』p.154
自由になるために必要な能力も整理された。①技術が自分にどのような影響を与えるかを考える能力、②技術との共存のなかでなりたい自分を構想する能力、③それを実現する仕方で技術を用いる能力である。
11. ワーク③──技術と共に、どんな自分になりたいか1:02:01–1:09:31
技術をひとつ選び、その影響力のなかでどんな自分になりたいか、どう使うか・使わないか、どんな責任を負うかを考えるワーク。講評で大家は自身の例としてAIとの対話を分析した。AIとのやり取りはレスポンスが速く、「わかった感」まで返してくれる。それに慣れると、同じ速度と理解を生身の人間——たとえば幼い子ども——にも要求してイライラしてしまうのではないか。だからAIを悪者にするのではなく、AIとのコミュニケーションと幼児とのコミュニケーションでは情報の質も量も違うことを忘れないでいたい。「AIを使いながら、かつ良い父親でありたい」——道徳的主体化の等身大の実例である。あわせて「安心な自分になりたい」で終えず感情の先の自己実現と責任まで書く、「倫理的な自分」のような抽象語はどんな行為・意思決定・責任かまで具体化する、という改善ポイントが示された。
12. 講義④道徳的設計──設計とは、物質を介した倫理の実施である1:09:31–1:16:22
最後のパートは作り手に向けた話。技術が志向的関係を媒介するなら、技術を作り出す設計者・開発者は「人間→世界」の志向的関係そのものを設計していることになる。超音波診断の開発者は、意図せずして「葛藤するカップル」「リスクとしての胎児」を生み出した——フェルベークはこれを重要な観点だと言うが、萎縮する必要はないとも強く言う。本質的・絶対的に善い/悪い技術は存在しない。大事なのは、使用によっていかなる技術的媒介が発生するか——世界がどう変わり、自分がどう変わり、どんな行為とどんな知覚が生まれるか——を設計者は熟慮して実装できるということだ。倫理はコンプライアンスとして外からやってくるものではなく、「作る」という動作そのものが倫理の実行なのである。
もし倫理が、いかに行為すべきかを問題とし、設計者は技術による行為の媒介に介入しているのだとしたら、設計というものは、物質を介した倫理の実施と捉えられねばならない。——フェルベーク『技術の道徳化』pp.157-8
そのために必要なのは試行錯誤と想像力。許容可能な範囲で実験を行い、どんな媒介が生まれるかを捉え、どんな媒介を作り出したいかを想像する。葛藤するカップル、リスクとしての胎児、胎児観の変化、中絶などの選択——それらは「望ましい」のか。作る側は、より良い人間のあり方・行為のあり方・知覚のあり方・世界のあり方を作っていくことができる。技術はユーザーを、そして世界を変える。だから、作る側は使う人に・世界にどうあってほしいのかを熟慮しよう——これがフェルベークの、そして本講義の最も強いメッセージである。
13. ワーク④──どんな技術で、どんな人間社会を作りたいか1:16:22–1:21:32
仕上げは設計側に立つワーク。仮想の技術をひとつ構想し、使用時の知覚や行為を書き出し、その影響力がどのような「望ましい」人間・社会・世界を作るのかを考える(大家の例は「天気予報+行動提案アプリ」)。講評では、「倫理的で思いやりのある社会になる」のような抽象語で終えると漠然とするため、どのような意味で望ましいのかを具体化すること、個人の変化と社会の変化を分けて考えること、そして価値がぶつかり合うジレンマを見つけられたらそれこそ重要——というフェルベーク的な観点が示された。
14. まとめ──技術はあなたを、世界を、変える1:21:32–1:23:23
講義目的のA・Bに立ち返る。大家自身の言葉によるまとめはこうだ——技術はあなたを、世界を、変える(ここが大事!)。しかし、あなたも、世界も、技術の「被害者」ではない。技術と一緒に、そうありたい自分を、そうであってほしい世界・人間社会を、構想し、追求することができる。これが本講義の考える主体性である。読書案内として、フェルベーク理論を使用者側・設計者側それぞれに応用した大家の人工知能学会誌の姉妹編2本と英語論文が紹介された。
15. Q&A──フェルベークの射程と限界1:23:23–1:37:13
「技術そのものに善悪はない」という主張へのツッコミどころとは?——受講生からの質問に、大家は自身の批判的見解を展開した。フェルベークが強いのは、私たちの手に届く普段使いの技術——インターフェースとして現れる技術——である。しかし手元に現れているのは末端にすぎない。AIとAIデータセンターの違い、大量の水を使う環境負荷、原子力・核のような巨大技術、その電気が原発由来か水力由来かの区別——これらをフェルベークの枠組みは論じにくい。フェルベークの見方は人間にアクセス可能な技術に偏っているのではないか、足りない部分はハイデガーの総駆り立て体制(第3回)など他の哲学者で補えるかもしれない、というのが大家の診断である。核への言及自体、戦後世代の技術哲学者であるフェルベークにはほとんどない。
潜在的リスクをどう洗い出すのか?——『技術の道徳化』中盤の設計論の章にある媒介分析が答えになる。子ども用のおもちゃなら、実際に子どもに遊ばせてみる。振り回すことは想定していたが、まさか口に入れるとは——という発見を、知覚の媒介・行為の媒介・主体性/客体性の媒介という指標で体系的に広げていけば、リスクの洗い出しになる。関連して、絵本を表紙が見える「面出し」で置くと子どもが手を伸ばす、といったものの配置が行為を誘発する身近な応用例も語られた。
ルールや法律も「技術」に当てはまるのか?——フェルベークの言う技術はあくまで技術的人工物だが、法律やルールも媒介を行うということには強く同意するはずだ、と大家。ここで日本の哲学者三木清が呼び出される。三木は技術と同列に、言語・制度・神話が人間の行為をどう媒介するかを考えた哲学者だった(第4回で登場した西田の弟子である)。大家がこの話を本人にぶつけたとき、フェルベークは「興味深いね」と応じたという——人間は様々なものに影響を受けており、その中の「技術」に自分は焦点を当てたのだ、と。
結びに七沢が次回を予告する。技術による主体性の揺らぎと、ゲシュテルの問いをいかに乗り越えるか——次回・第6回はまさにその問いに向き合うユク・ホイの「技術多様性」「宇宙技芸」を扱う。技術を捉え直す学びはさらに続いていく。
SUMMARYまとめ
- 現象学は「経験」を志向的関係から分析する一人称性(経験はつねに私にとって現れる:感じ方・経験の質)と志向性(経験はつねに何かについての経験である:関わり方・意味)の2軸で人間の経験を記述する。これはそのままUX・デザインの分析語彙になる。
- ポスト現象学は「私→技術→世界」フェルベークは志向的関係に技術が介入すると考える。人間+技術=主体性、技術+世界=客体性。知覚は増幅と縮減、行為は誘引と抑制という形で技術に媒介される。
- 技術的媒介は不可避であり、善悪の問題ではない超音波診断は胎児を「見える」存在にし、名付けを可能にすると同時に「リスクとしての胎児」を生み、カップルを葛藤と選択へ誘引した。技術は使われることで知覚と行為、人間と世界のあり方に不可避の影響を与える。
- 人間は道徳的に主体化できる技術の影響を自覚した上で、なりたい自分を構想し、それを実現する仕方で技術を使う——人間は熟慮して技術を使い、自分らしく生きる自由を持ち、責任を負う。技術に操られるだけの被害者ではない。
- 設計とは物質を介した倫理の実施である作り手は使用者の志向的関係そのものを設計している。本質的に善い/悪い技術はないからこそ、どんな媒介が生まれるかを試行錯誤と想像力(媒介分析・実験)で熟慮し、より良い人間・世界のあり方を作ることができる。
- フェルベークの射程には限界もあるその強みは普段使いの技術・インターフェースにあり、データセンター・核・電源構成のような巨大技術やインフラの善悪は論じにくい。足りない部分は他の哲学(ゲシュテル論、三木清の媒介論など)で補完しうる。
APPENDIXチャット付録
講義中のZoomチャットから、議論に関わる書き込みを匿名の要約で採録する。
- 「技術そのものに善悪はない」へのツッコミどころとは?(受講生)──Q&Aで大家が回答。フェルベークの枠組みは普段使いの技術に強く、データセンターや核のような巨大技術・インフラを論じにくいという限界の指摘につながった。
- フェルベークは核については言及しなかったのか?(受講生)──基本的に言及していない。核を主題化したのは戦争を経験したひとつ前の世代の哲学者たちで、フェルベークは大きな技術には強く言及していない。
- 潜在的リスクの洗い出しは難しい。問いかけの手法の例は?(受講生)──媒介分析(実験的に使ってみて、知覚・行為・主体性・客体性の媒介を指標に洗い出す)が紹介された。
- ルールや法律にも同じような作用があるのでは?(受講生)──フェルベークも法律・ルールの媒介作用に同意するはずで、言語・制度・神話まで視野に入れた三木清の媒介論が接続された。
- 現象学の方法で生活の中の技術を考えると、自分と技術の関係を捉え直すとっかかりが見えてくる——という感想も寄せられた。