PHILOSOPHY OF TECHNOLOGY

技術哲学 第4回
技術を形作るもの──社会構成主義・アクターネットワーク理論/西田幾多郎の技術論

まとめレポート(講義動画 1時間50分12秒より作成)

講座
makers Unlearn 2026(mU)
講師
村田純一(東京大学名誉教授)
進行
七沢智樹
開催日
2026年8月27日(木)

OVERVIEW概要

第4回の講師は、長らく日本で唯一の技術哲学の教科書だった『技術の哲学』(岩波書店2009/講談社学術文庫2023)の著者であり、日本の技術哲学界を長年リードしてきた村田純一。直江清隆・岡田悠汰・染谷昌義ら、この科目に登壇する講師の多くが村田研究室の出身である。ハイデガーの一元的な技術論(第3回)を受けて、今回は「技術は社会からどう形作られるのか」という視点への転回が主題となった。

講義は三部構成。①技術決定論と社会決定論という対立する見方を具体例で押さえ、②両者を乗り越える二重側面説の具体化として、自転車の成立史に基づく社会構成主義と、人工物を人間と並ぶ行為者とみなすアクターネットワーク理論(ANT)を紹介。そして③西田幾多郎の「作られたものから作るものへ」を、デザイナーの誤謬、ポストイットの発明、失敗学までを織り込みながら、技術の創造性と失敗可能性が不可分であることの表現として読み解いた。

終始、七沢との対話でAIの現在に引きつけながら進行した。いま私たちは「AIとは何か」の解釈の柔軟性が開かれたまさにその渦中にいる——これが本講義から持ち帰るべき視点である。

タイムスタンプは講義アーカイブ動画の再生位置です。スクリーンショットは講義スライドの引用(©村田純一)。参加者が映り込む領域は処理して除いています。受講生の氏名・発言は特定できない形に編集しています。

CONTENTS講義の内容

1. 導入──「つくる」は世界のすべてを作る0:00–6:00

つくるとは何か
4:16出発点:作るとは、ものを作り、ヒトを作り、社会を作り、ヒトの生きる世界を作ること。

村田はまず、mUの根本の問い「“つくる”とは何か」を受け止めるところから始めた。作ることは物を作るだけではない。人を作り、社会を作り、人の生きる世界の全体を作ることを含む。とすれば、作り作られることによって人間の歴史は形成されてきた——西田幾多郎はこの歴史的世界の構造を「作られたものから作るものへ」と表現した。この西田の転回の意味を、現代の技術哲学の議論を参照しながら明らかにするのが本講義の狙いである。

2. AIへの丸投げと、三木清の「行為の形」6:00–14:45

導入の題材は今年7月の新聞一面記事。レポートをAIに丸投げした学生が良い成績を取ってしまい、「自分の存在理由がなくなる」という葛藤に陥る——それでも使うのをやめられない。村田はここに、西田の弟子で『技術の哲学』を著した三木清の技術観を対置する。技術とは行為の形である。同じ移動でも、徒歩か馬車か自動車かによって「どのように」実現するかが変わり、経験の意味そのものが変わる。丸投げには、この「どのように」がない。だから行為が意味不明になる。逆に、チャットGPTだけで東大に合格した学生や教育現場の工夫は、使い方を見出すことで新たな受験技術・教育技術を作っている。技術は一方的に社会へ成果をもたらすだけでなく、社会で使用されることによって作られるのである。

3. 技術と社会──決定論か、二重側面説か14:45–18:15

技術と社会の関係の捉え方は大きく2つある。①両者を分離し、一方が他方を決定するとみなす(技術決定論/社会決定論)。②両者は最初から結びついて成立しており、切り離せないとみなす——コインの裏表のような二重側面説である。講義前半はこの2つを具体例で検証していく。

4. 技術決定論──進歩史観からモダン・タイムスまで18:15–22:50

アメリカンプログレス
19:46ジョン・ガスト「アメリカン・プログレス」(1872)。電線を手にした女神が西部開拓を導く楽観的進歩史観。

「iPhoneが世界を一変させた」——技術決定論は至るところにある。歴史を遡れば、19世紀後半の進歩史観:ガストの絵では電線を持つ女神が蒸気機関車を従えて西部へ進み、先住民が追い立てられる。20世紀にはその悲観版が現れる。チャップリン『モダン・タイムス』の歯車に組み込まれた労働者は、機械が人間に合理性と効率性を強いる姿——前回のハイデガーのゲシュテルを象徴的に描いたものと言ってよい。

5. エリュールの「技術の自律性」22:50–24:40

以前にはできなかったが現在ではできる外科手術は、選択の対象ではない。それは絶対的に存在する。──ジャック・エリュール(講義スライドより)

技術決定論は手強い。できるようになった手術を受けるか受けないか、選択できそうに見えて、実際には選ばざるを得ない。宗教上の理由で子どもへの輸血を拒む親に私たちがどう反応するかを考えれば、エリュールの言う技術の自律性が現実味を帯びる。

6. 社会決定論──鉄砲を捨てた日本人とアーミッシュ24:40–31:10

逆に、社会が技術を制御した例もある。1543年に伝来した鉄砲は戦国日本で爆発的に普及し、30年後の長篠の戦いでは戦争の主役になった。ところが江戸時代には開発が推進されず、ほとんど使われなくなる。ノエル・ペリン『鉄砲を捨てた日本人』は、ここに「人間は自分の作り出した技術の犠牲になるだけの存在ではない」ことを見た。現代でも、アメリカのアーミッシュは「トラクターを使えば農業規模が拡大しついにはトラックが必要になる」と熟慮して導入を見送る——厳密なテクノロジーアセスメントを実践しているという評価もある。ただし、決定論はどちら向きでも極端になりがちだ。

7. 経験論的転回と社会構成主義31:10–35:10

そこで、一つの論理で整理するのではなく、事実として何が起きてきたのかを歴史的に調べてから考えるという研究の流れが生まれた。第2回でも触れられた経験論的転回である。「科学の発見→技術への応用→製品化」という通念も、実際のディーゼルエンジンの成立史を調べれば、カルノーの熱力学から素直に導かれたどころか、当初の構想とは全く違うエンジンができあがっている。その代表が社会構成主義だ。

8. 自転車の成立史──偶然と多様性35:10–46:05

ペニーファージング
36:46一世を風靡したペニーファージング(1878)。前輪が大きくスピードが出る「男性のスポーツ用具」だった。

社会構成主義の典型例が、オランダの研究者バイカーらによる19世紀後半の自転車の分析である。木製二輪車からペニーファージング、チェーン駆動のローソンズ・バイシクル、そして前後輪が同径の現在の「セーフティ」型へ——この過程は直線的な進化ではなく、どの形が受け入れられるかはかなり偶然的だった。決め手はチェーンや空気タイヤといった技術的要因だけでなく、誰が使うのかという社会的要因である。イギリスの女性参政権運動家たちは自転車を「自由のマシン」と呼び、女性解放の象徴とした。今日「ママチャリ」を女性解放のテクノロジーと見る人が誰もいないこと自体が、その意味がデザインの中に実現しきった証なのである。

9. 解釈の柔軟性──いまAIはその渦中にある46:05–51:00

解釈の柔軟性
46:56技術の成立過程は一貫して価値負荷的であり、「解釈の柔軟性」を備えている。普及して初めて「ブラックボックス」になる。

バイカーらは、技術の成立過程は最初から最後まで社会的要因の間での解釈の争いにさらされており、一貫して価値負荷的(value laden)だと述べる。技術的製品は解釈の柔軟性(interpretative flexibility)を備えており、何がその製品なのかという意味は技術・社会・政治の要因から多元的に構成される。普及して安定した使用がなされて初めて「それ以外は考えられない」ブラックボックスになる。文章の読解の術語だった「解釈」が、ものの制作過程に使われたことに驚き、影響を受けたと村田は語った。ここで七沢が確認する——いままさに「AIとは何か」が解釈されている途中であり、私たちはAIの意味が定まる前の、決定的な分岐の局面にいるのではないか。

10. アクターネットワーク理論──人工物は共同行為者である51:00–56:35

スピードバンプ
53:06アクターとしてのスピードバンプ。標識でも警官でもなく、道路の凸部が徐行を「実現」する。

二重側面説をさらに徹底させたのが、ブルーノ・ラトゥールのアクターネットワーク理論である。人工物は人間と並ぶアクター(行為者)だ——病院前の徐行を実現するのは、標識でも警官の人形でもなくスピードバンプである。無視して走ればサスペンションが壊れるから、運転者は否応なく徐行する。三木清の言葉でいえば、スピードバンプは新しい行為の形を形成する。人間の社会は人間だけでできているのではなく、こうした無数の人工物が共同行為者として秩序を支えている。

11. 銃が殺すのか、人が殺すのか56:35–61:00

手にした銃によってあなたが変わるように、銃もあなたに持たれることによって変わる。殺人をするのは人でも銃でもない。行為の責任は様々なアクタントに共有されている。──ブルーノ・ラトゥール(講義スライドより)

アメリカの銃規制論争——「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」という全米ライフル協会の主張に対し、ラトゥールは銃と人が一緒になって殺人が起こると考える。「ボーイング747が飛ぶのではなく、航空会社が飛ぶ」——飛ぶことは、空港・滑走路・チケットカウンターを含む連関全体の特質であり、これが技術的媒介の意味である。

12. 文化という解釈──機械時計・和時計・風車61:00–67:15

解釈の柔軟性が際立つのが技術移転の場面だ。ルイス・マンフォードは「蒸気機関ではなく時計こそ近代の鍵になる機械」と述べた——労働と生活を規則化したからである。ところが17〜18世紀に宣教師が中国・日本に持ち込んだ機械時計は、近代化などもたらさなかった。中国では王宮を飾る美術品・玩具となり、日本では季節で一刻の長さが変わる不定時法に合わせて和時計に作り変えられた。田中久重の万年時計(1851)は、一度巻けば1年動き、季節で時間の長さまで変わる——2000年代に技術者たちが分解解明に苦闘したほどの精密さである。風車も、チベットでは祈祷、中国では揚水、アフガニスタンでは粉挽きにしか使われなかった。文化は解釈するだけでなく、解釈に沿って構造を作り変えるのである。

ここでブレイクアウト。「エリュールの技術決定論をどう考えるか」「万年時計は技術かテクノロジーか——この区別にどんな意味があるのか」という問いが出された。

13. 対話再開──人工物の政治性:ウィナーの低い陸橋1:09:45–1:16:21

モーゼスの人種差別的陸橋
1:11:26R・モーゼスの陸橋。バスが通れない高さが、車を持たない人々をロングアイランドの浜辺から締め出した。

後半は七沢が講師のスライドを画面共有し、対話形式で進んだ。ラングドン・ウィナー「人工物に政治はあるか」のパラダイム例——ニューヨークからロングアイランドへ向かうパークウェイの低い陸橋は、車高の高いバスを通さない。どこにも差別の文言はないのに、構造物の形が人種差別を実行する。より一般化すれば、意図なき差別は至るところにある。歩車分離が車椅子を不便にし、成人男性の人形だけで行った衝突実験が女性の事故死亡率を有意に高くした。さらにウィナーは、原子力のような技術は厳格な情報管理を要請するため権威主義的な構造と整合的になると論じた。七沢は「AIはまさにそうなっている。米中以外に開発できない状況で、民主主義的決定によらず物事が決まっていく」と重ねた。

14. ブラックボックスを開示する1:16:23–1:21:14

だからこそ、ブラックボックス化した技術を開示し、解釈の可能性を開き直すことが求められる。折しも当日のニュースでは、Facebookが未成年を依存させるアルゴリズムを隠していたとして米国のほとんどの州から訴えられ、巨額の制裁金を科される見通しが報じられた。ヨーロッパのGDPRも、デジタル上の自己主権を取り戻す試みである。七沢は「プラットフォームに行動データを納税するデジタル封建制の中では、根本の権威主義は維持されたままだ」と応じた。

15. 西田幾多郎──作られたものから作るものへ1:21:16–1:27:37

西田幾多郎の引用
1:22:56「物が我を動かし我が物を動かし、矛盾的自己同一として世界は自己自身を形成する」(『西田幾多郎全集』旧版9巻)。

いよいよ西田である。「歴史的現実の世界は制作の世界・創造の世界である。物は我々によって作られたものでありながら、どこまでも自立的なものとして逆に我々を動かす。物と我とはどこまでも相反し相矛盾するものでありながら、矛盾的自己同一として世界は自己自身を形成する。作られたものから作るものへと行為的直観的に動いていく」。村田はこれを具体例で解く——雨宿りに使った木からやがて屋根が作られると、雨を防ぐ仕事は屋根に任せて人は次の仕事に取りかかれる。作られたものが足がかりになって、新しい作るものが生まれる。石器以来、人類はこの連鎖を歩んできた。

16. デザイナーの誤謬──必要は発明の母か1:27:39–1:34:37

注目すべきは、出発点が「作る者」ではなく「作られたもの」であることだ。制作者のデザイン構想から始める一面的な考え方を、ドン・アイディはデザイナーの誤謬と呼んだ。「必要は発明の母」も疑わしい。ペトロスキーによれば、物の形はそれ自体がより想像力に富む新たな形を触発する——木の枝がフォークを想起させ、貝殻がスプーンを想起させる。発明があって必要性が生まれる、つまり「発明は必要の母」と言ったほうが分かりやすいくらいだ。3M社のポストイットはその典型である。強力な接着剤の失敗作が、聖書の栞という使用の場で意味を見出され、マーケティング部門が「売れない」と判断した後も、社内の秘書たちの使用感が製品化を実現した。制作者は誰か——人と物のアクターネットワークである。

17. 創造性と失敗可能性は不可分──ガリレオと回転ドア1:34:39–1:44:41

未知の応用としての技術
1:37:56「未知の応用」としての技術。創造性と失敗可能性は不可分である。

作られたものは、足がかりになると同時に妨害物にもなる。スピードバンプは救急車の通行を遅らせる。この両義性——矛盾的自己同一とは、創造の可能性と失敗・事故の可能性が切り離せないことを含意している、というのが村田の解釈だ。ガリレオが『新科学対話』冒頭に挙げた例:大理石の柱の中央に支えを加えたら、かえってそこを支点に折れてしまった。予防のために施した手段が災いになる。六本木ヒルズの回転ドア事故では、安全のためのセンサー調整がかえって死角を生んだ。失敗学の畑村洋太郎は「ドアとは何か(開いていながら閉じていなければならないもの)まで考えないと事故はなくせない」と述べる。技術とは既知の応用ではなく未知の応用であり、設計の基本は成功を目指すことではなく失敗を回避すること。未知の領域から危険の兆候を検知して感動(感じて動く)すること——中岡哲郎のこの言葉が結びに置かれた。

18. 結び──有の哲学と無の哲学1:44:43–1:50:12

七沢が総括する。ハイデガーが近代世界をゲシュテルという一元的な存在論的枠組みで解釈したのに対し、西田は出発点から多元的な「無の場所」に根本を見出した——ユク・ホイの整理でいえば「有の哲学」と「無の哲学」の違いである。では無の哲学から技術にどうアプローチすべきかは、技術哲学でもまだ明らかになっていない。それこそがアンラーンの先に受講生が取り組むべき課題だ。感想フォームへの問いは2つ:①「予防のために施した手段がかえって災いになった」と解釈できる事例を、AIにかこつけて予想してみる。②「作られたものから作るものへ」という転換は、現代で作ることを考える上でどんなヒントを与えてくれたか。次回・第5回(8/31月)は大家慎也によるポスト現象学の回である。

SUMMARYまとめ

  1. 技術決定論も社会決定論も極端に陥るiPhoneが世界を変えた(技術決定論)も、鉄砲を捨てた江戸日本やアーミッシュ(社会決定論)も一面の真実だが、どちらも技術と社会を分離する前提に立つ。両者は最初から結びついた一つの存在の二側面である(二重側面説)。
  2. 技術の意味は多元的に構成される自転車の成立史が示すように、技術の形の決定は偶然的で、誰が使うかという社会的要因に依存する。成立過程は価値負荷的で「解釈の柔軟性」に開かれており、普及して初めてブラックボックスになる。AIはいままさに解釈の渦中にある。
  3. 人工物は共同行為者である(ANT)スピードバンプが徐行を実現し、低い陸橋が差別を実行する。行為の責任はアクタントの連関に共有され、「ボーイング747ではなく航空会社が飛ぶ」。人間の社会秩序は無数の人工物に支えられている。
  4. 作られたものから作るものへ(西田幾多郎)物は作られたものでありながら自立して我々を動かし、その中から次の作る働きが生まれる。制作の出発点はデザイナーの構想ではなく作られたもの——「発明は必要の母」であり、制作者は人と物のネットワークである。
  5. 創造性と失敗可能性は不可分作られたものは足がかりにも妨害物にもなる。矛盾的自己同一はこの両義性を含む。技術は「未知の応用」であり、設計の基本は成功を目指すことではなく失敗を回避すること。ガリレオの大理石から回転ドア事故まで、この教訓は貫かれている。

APPENDIXチャット付録

講義中のZoomチャットから、議論に関わる書き込みを匿名の要約で採録する。

  1. 「必要は発明の母」の逆という話について(受講生)──3Mのポストイットの例では、開発者自身が普段聖書に印をつけるとき「印をつけると汚れるし劣化してしまう」という潜在的な必要性を先に持っていたからこそ、付着しない接着剤の商品化をひらめいたのではないか。つまり「必要性→発明」という理解もできるのではないか?──講義後の質問フォームに接続する問いとして残された。
  2. 講義中盤、経済(資本主義)が技術の方向を形作っているという論点への共感の声があった。
本レポートは、講義アーカイブ動画の自動文字起こしとスクリーンショットから生成したまとめです。発言の要旨は文字起こしに基づき編集していますが、細部のニュアンスは実際の講義動画をご確認ください。