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第3回「ハイデガーから「つくる」の意味を問い直す──道具、存在、技術への問い」
受講生の感想

技術哲学|2026年8月24日(月)|講師:岡田悠汰

7件の感想
匿名掲載(原文のまま)

SUMMARY感想まとめ

「総かり立て体制(ゲシュテル)」という概念が、コスパ・タイパに追われる現代の実感と強く結びついた回でした。難解とされるハイデガーを「すごくわかりやすかった」と受け止める声が多く、隠れ/隠れなさ、テクネーとポイエーシスを手がかりに、教育・経営・食などそれぞれの現場でかり立ての構造に気づいたという感想が寄せられています。

VOICES受講生の感想(全文)

講義後アンケートに寄せられた感想を、氏名を伏せたうえで原文のまま掲載しています。

  1. 本講義のテーマは、「ハイデガーの思想を手がかりに『つくる』を問い直すこと」だと捉えました。
    西洋の伝統的な形而上学において、「つくる」とは素材(質料)に目的とする形(形相)を与える加工行為だと考えられてきました。しかし、ハイデガーは「つくる」の本質を、素材を一方的に支配することではなく、隠れていたものの真理をひらく「隠れなさ」を戦い取ることだと提示します。
    これに対して現代の技術は、もはや自然や対象を招き出すポイエーシスではなく、最小の費用と時間で最大限に利用できるよう世界を「挑発」するものへと変貌しています。そこでは、あらゆる存在や人間すらも、単に利用・制御されるための「徴用物資」としてかり立てられてます。
    ハイデガーの思想を通じて、私たちが無意識に囚われている「効率化や最適化、目的達成の手段としてのつくる」という発想だけではなく、技術や世界との新たな関係性や、「つくる」の新たな可能性について考えるきっかけとなりました。
  2. すごくわかりやすかった。
    ゲシュテルを前提としたとしても、ゲシュテルにならない、現代技術もあるはず。効率化や市場主義とは無関係な技術、遊びや一回性、有限性に紐づいたものを探したい。
    また、ゲシュテルを前提としない考え方をさがしたい。ただ単に、過去に戻るのではなく、今の環境だからこそできる形を模索してみるのが良いと思われる。
    そもそも、ゲシュテルを誘発する環境や条件は何かを考え、それを抜けることも考えられる。
  3. 後半の総かり立て体制の中に組み込まれていく話について、前半の隠れと隠れなさの話が希望になるではないかと感じた。
    覆いを全て取っていったら真理に辿り着くのではなく、何かが明らかになったら何かが隠れる、といった考え方は、直線的な進歩ではなく、その隠れたわからなさを楽しみ、わからないことや遠回り(一歩引いて落ち着く?)、有限性を意識することが、総かり立て体制の中で人生を豊かにすることではないか。
    何かに気づくと他の視点が失われるというその特性は、総花的なAIとは異なり、有限性と偏りのある人間独自の特性であり、そこが人間らしさである。その何かに気づく(同時に何かが隠れる)きっかけを与え、受け取り、気づくことが人生を豊かにすることだと思っており、そのきっかけを「つくる」が「つくること」ではないかと考えた。
    (その他)理解が難しい技術哲学において、講義後、すぐにAIまとめで、文章として内容を振り返られる有り難さを感じています。
  4. 今回もハイデガーの議論はかなり難しく、十分に理解できていない。ただ、技術を単なる道具として考えるのではなく、技術によって私たちが世界をどのように見るようになるのか、という問いとして考えると少し身近に感じられた。
    自分が関心を持っている食に置き換えると、たとえば賞味期限は食品についての便利な情報である一方、期限を見た瞬間に、食べ物を「あと何日使えるか」「いつまでに消費しなければならないか」という管理対象として見るようになることがある。賞味期限自体が問題なのではなく、在庫、期限、廃棄量などによって食べ物を管理することが当たり前になると、食べ物を見る自分自身の見方も変わっているのではないかと思った。
    技術が何を可能にするかだけでなく、技術を通して自分が何をどのように見ているのか、という視点は、今後も食の問題を考えるうえで意識してみたい。
    (その他)毎回消化不良ですが頑張って完走したいです
  5. (アーカイブ視聴)哲学の抽象性になかなか頭をチューニングできずにいます。ただ「総かり立て体制」の指摘、という功績だけは辛うじて自身のパラダイムシフト的なフックにできそうですので、とりあえず捕まえておきたいと実感しました。
    いずれにしても、歴史的に時代と社会背景を併せて捉えるために、とにかく強い想像力を欠かしてはならないと自戒しています。
    航空戦闘能力の獲得や無意識の発見、「神は死んだ」などの時期の重なりは、現在の急速なテクノロジー発展に似た激震だったのかも、と想像することにしながら講義の内容をこれからの糧にしていきたいです。
    (その他)障害者などのマイノリティと対峙する際、「障害の社会モデル」を軸に捉え直すことの有効性を実感しています。「総かり立て体制」は「無自覚に徹底した合理性」をもたらしがちに思えますので、「エイブリズムを放棄することの方が合理的」な社会を目指せるようゲシュテルのアルゴリズム修正項を組み込んで行きたいと夢想しました。
  6. ハイデガーの言う「総かり立て体制」は、改めてその視点で世界を眺めてみると至る所で起きていることに気づく。コスパやタイパなどはその代表だと私も思う。
    私の携わっている教育(特に大学受験)にもその波は顕著にやってきている。受験勉強にも過度にタイパが求められ、腰を据えて物事を考えるという本来の“現れ”がなくなってきている。とにかく瞬時の結果を求め、それゆえに歪んだ「テクニック」まで横行している。だがそれゆえに、勉強の本来の“現れ”が消えている。講義の中でもあったように「何かが明らかになったら何かが消える」のであり、よりによって現れているのがかり立てられて出てきた「効率性」や「テクニック」になっている現状は非常に嘆かわしく、私は受験業界の内部からそれを変えていけないかと苦心している。現代教育は「教育によって考えないようにさせられている」と私は思っており、それは七沢さんがおっしゃっていたこととも通じる。
    現代において求められるのは、ハイデガーの議論をもとに、隠れてしまったものに光を当てることではないだろうか。それはただの懐古主義ではない。光の当たっている部分が全てだと思わないこと、その影になっている他の“現れ”があるはずだということをまずもって認識することではないだろうか。「隠れから隠れなさを戦い取ること」が現代ほど求められる時代もないのだろう。
    (その他)私はハイデガーについて、森一郎先生の『技術とは何だろうか』を読みながらあれこれ考察していました(元東北大文学部生で森先生の講義に感化された者です)。どこかで平凡社出版の関口訳にもチャレンジしたいと思っています。とにかくハイデガーを基点にしないと技術社会を捉えるのは難しいと感じています。
    「隠れから隠れなさを戦い取ること」という言葉は、無限なものから有限なものを立ち表せるイメージに近いのかなとも思いました。ニーチェのいう「神は死んだ」時代なのかもしれませんが、やはりどこか人間は神のような無限性を措定してしまうものだと、ふと感じました。テクノロジーが神なのではなく、テクノロジーも汲み尽くせない無限性という神に、私たち人間は可能性を求める存在なのかもしれません。
  7. 通常、道具はその有用性によって評価され、作り手もそこを目的として制作する。しかしハイデガーは、道具には目的に回収されない自立性——彼が「大地」と呼んだもの——が秘められていると見出した。さらに、芸術作品をつくる過程において、作り手は「隠れ」から「隠れなさ」へ——すなわち世界という真理が立ち上がる瞬間を経験する。
    古代ギリシャでは、道具の製造も芸術作品の創作も「テクネー」という一つの言葉で呼ばれていた。それは人間・モノ・自然の協働による創造、すなわち「ポイエーシス」に属する行為だった。
    しかし現代の技術や社会システムは、特定の目的へと人を駆り立てる力を強めている。生産性向上を求められた社員は「人材」へと変換され、仕事の喜びや健康といった本来の価値は後景に追いやられ、やがて忘却される。ハイデガーはこの構造を「総駆り立て体制」と呼んだ。
    この問題は、自分が向き合っている経営・組織の現場でも切実だと感じた。多くの会社では目的が先行し、いかにして計画通りに到達するかが問われ続ける。しかも、目的合理性という規範が人々の内面深くに染み込んでいるため、その構造に異を唱えることは容易ではない。
    だからこそ、組織のリーダーたちがテクネーやポイエーシスの喜びを取り戻すことが、一つの糸口になるのではないかと思う。目的通りに作ることしかできない組織は、やがて独自の価値を生み出す力を失っていく。新たな真理が立ち上がる瞬間の中にこそ、その組織の創造性の源泉があると考えた。
本ページの感想は、受講生アンケートの回答を匿名で掲載したものです。文意を変える編集は行っていません。