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第2回「技術哲学とは何か──概念史から現代の議論まで」
受講生の感想

技術哲学|2026年8月20日(木)|講師:直江清隆

7件の感想
匿名掲載(原文のまま)

SUMMARY感想まとめ

「技術=科学の応用」という理解が歴史的にごく新しいものだと知り、視界が開けたという感想が集まった回でした。テクネーからテクノロジーへの概念史、アリストテレスとベーコンの対比、技術決定論批判と人工物の政治性まで、時間軸のパースペクティブを得たことが、それぞれの現場の問いに接続されています。

VOICES受講生の感想(全文)

講義後アンケートに寄せられた感想を、氏名を伏せたうえで原文のまま掲載しています。

  1. 技術とは何かは知りたかったので、「手を使って作ること」のようなイメージが沸いたので良かった。そのうえで、テクニック(芸術、工芸、技能)とテクノロジー(科学と結合した技術)の二つの意味があること、さらに、科学および哲学は「知」、技術は作業と違うこと。リベラルアーツ、メカニカルアーツ、科学哲学、技術哲学と知らない用語を学べたことが収穫。
    しかし、自分の中で全体のテーマに対して途中までもやっとしていたが、途中から、「技術が人間にどう影響しているのか、その関係がどうあるべきか」を問うていると理解した。産業革命以降、技術と人間、社会の関係が変わる中で、問題意識自体も変化していく経緯が理解できた。
    最終的に、技術を「人間の価値に影響を与えるもので、コントロール可能なもの」ととらえ、それをどう実現していくか。技術と社会の相互作用に基づく技術発展が大事なこと。技術決定論に対する批判と、「今からかえていこう。そのために必要な仕組みを実装する」ことが大事ということには、とても共感した。頭に入れておきたい。
  2. 本気で大学の「哲学」の授業だと気付かされ、もともと性能の良くない錆びついた脳が心地よくは動作しませんでした。なのでPCの前で立って受講しておりました(七沢スタイル)。
    この分野に全く疎いこともあり、「技術哲学」というものがつい最近できた分野だとさえ思っていた自身の浅はかさを改めて思い知るところから始まりました。ともあれ50代には重い講義でしたが、現代においてこの知見が重要であるということを身にしみにて味わうための洗礼と捉えてできるかぎり食らいついていきたいと思っています。
    第一回の原島さんの概論でこの学問の空間的なパースペクティブが引き直される心地を抱き、今回は時間的なパースペクティブの手がかりを得た印象です。
    紹介された参考書籍を読む重荷は引き受け切れないので、これに加えてwiredの連載で何とか早急に全体像を掴み、まずはスタート地点に立てるようにしたいです。
    「技術に対する3つのパラダイム」の紹介などを通し、それだけ長い期間を経ながら常に時代と社会の背景を踏まえて刷新しながら捉えていく必要のある概念であることが再認識できました。
    そしてそれを踏まえて、最終段の七沢さんの「我々はインターネットの意味さえまだ完全には理解できていない」という発言の意味もまたこれまでとは異なった耳触りとして心に浮かんでくるようになったように思えています。
    (その他)素朴な疑問として、実際に最先鋭の「技術」を開発している立場の方々に、この分野で論じられている「哲学」がどの程度実効性を伴って機能しうるのだろう、と思います。
  3. 技術哲学の経験的転回について、人工物の媒介論、人工物の志向性論ともに、「つくる」を考える際に、意識したいポイントであると感じた。単に機能を満たすだけのつもりでも、何かを誘発・誘導することになってしまうため、意図的かどうかに限らず意識したいポイントである。というよりも、つくり手側の場合は、常に意識的・意図的である必要があると感じた。
    その中で、バリアフリーのような場合は、包摂性があるため、みんなにとって心地よい状態をつくれる可能性があるが、その他の場合は、誰かにとって心地よいものは、誰かにとって心地の悪いもの、となる可能性をはらむ場合もあり悩ましいとも感じた。
    そこは民主主義の中で、どのようなバランスで作るか、といったところまで合意形成するかという考えもあるが、そこには限界もあり、一方で個別にカスタマイズする・変化するといった考え方もあるが、それに耐えられる対象かどうか・もしくはそれをカスタマイズしきれるユーザーであるかといった問題もあるように感じ、引き続き講義の中で考えていきたい。
    (その他)直線的な画一的な成長・進化の盲信、それに対する反動、多様性・個別性の許容、といった歴史の流れを感じ、歴史を学ぶとどの分野も同じ流れで連動していることを常に感じます。
  4. アリストテレスの「自然を補完する技術」と、ベーコンの「自然を支配する技術」の違いについて食への応用を考えてみた。発酵や乾燥のように食材の変化を利用する技術と、温度、酸素、圧力、凍結乾燥などの条件を制御して長期間保存する現代の食品技術では、自然との関わり方が異なるように感じる。ただし、両者を単純に自然的/人工的と分けることもできない。技術が自然を「補う」のか「制御する」のか、その境界自体がどこにあるのか気になった。
    (その他)講義が難しすぎて全然ついていけていませんが、繰り返し視聴しつつ新しい講義も進めていきたいと思います。
  5. • 技術哲学の歴史を俯瞰し、技術と人間・社会の多様なつながり方を学べる内容で、とても面白かった。
    ・AIなどの最新技術は過剰に敵視されたり、過信されたりする。しかし、技術そのものよりも、人間と社会との関係性のあり方をどのように設計するのかが重要だと感じた。アリストテレス的に考えれば、技術は自然を補完するものになりえるし、社会構成的に考えれば、技術が全てを決定するのではなく、社会との相互作用でそのあり方を規定される。そこの相互作用の設計がいったい、どういうことなのか、を引き続き考えていきたい。
  6. 「技術」というのが「手」に関係しているという点は非常に大事だと感じた。そこを見逃すと「技術=科学」という狭い見方に囚われてしまうだろう。縄文人が作った土器、寿司職人が握る寿司、大工が建てた建築物も、その「手」から成り立っているはずだし、立派な“技術”である。
    アリストテレスの時代には、確かに彼が知の一つとしてテクネーを用い、その帰結としてのポイエーシスを提唱したものの、他の知よりも低く見られていたと聞いたことがある。実際、古代ギリシアでは観想的生活を始め、エピステーメーやフロネーシスといった学問知・実践知が尊重されており、テクネーの領域はもっぱら奴隷などに依っていたとも。現在においても見られる、ホワイトカラーとブルーカラーの大別(なかば蔑視を含んだ)にみられるような思想と相似形な気もする。だからこそ、現代は「技術」を改めて問い返す価値があるのだろうとも思った。
    また、技術決定論への批判としてフィーンバーグが批判的に問い返しているが、私はフィーンバーグの意見にも首肯しつつ、その「民主的な仕方」が理想になってしまうとも感じている。確かに、技術の単線的な進歩は一元的な見方に過ぎない。実際にはもっと多義的でさまざまな方向性を持っているはずだ。しかし、資本主義のこの世の中において、あまりにも巨大テックなどの大企業が強すぎる。結局彼らの決定があらゆる所に及んでおり、民主的な決定ができそうな感じに見えているだけでなかろうか。フィーンバーグの本質主義への批判は卓見ではあるが、その実は巨大テックの決定による一元的な進歩史観に回収されてしまうのではないだろうか。問題は、フィーンバーグらの見解をもとに、現代の我々がそうした単線的な進歩を抜け出し、多元的に編み直していけるかということになるだろう。
    (その他)技術によって生み出された環境が私たちに影響を与えるのは、マクルーハンの「メディアはメッセージ」のようなものだと感じました。私たちはまず、自身の思考や行動がこの世界から影響を受けていることに自覚的になる必要があると思いました。自己を問い直さない限り、多元的な技術理解はできないだろうと考えます。なぜなら、思考や行動が生み出された技術(特に現代は科学の)に依拠しているからです。もし、改めて自己を問い直さなかったら、自分の抱く思想は主に科学の進歩史観に染まり、結局直線的な進歩を礼賛する羽目になるでしょう。
    直江先生のご著書に関して、私は『高校倫理の古典でまなぶ 哲学トレーニング』のシリーズから入った者です。愉しく拝読しました。コロナと仕事の関係で籍を置けたのは短いですが、東北大学の文学部にも一時期在籍しておりました。mUにて直江先生の講義を聴けて大変嬉しく思います。より考えを深めていきたいと思います。
  7. 本講義のテーマは、「技術の概念史を紐解くことで、現代のテクノロジー観を相対化すること」だと捉えました。
     講義を通じて、「テクノロジー」という言葉が、19世紀後半以降に科学や産業と結びつく中で、現在のようなエンジニアリングの意味へと狭められてきた歴史的経緯を学びました。一方、技術を表す「テクネー」には、芸術や工芸、身体的な技能など、より幅広い「技」の概念が含まれています。
     また、「技術は直線的に進歩し続ける」という前提も、近代特有の価値観であることを知りました。アリストテレス的な古典的思考における理想が「円環」であったのに対し、近代は「直線的な無限の拡大」を志向する点に決定的な違いがあります。
     こうして技術の歴史を遡ることは、私たちが無意識に抱いている「直線的な技術の進歩」という単一の物語を解体してくれます。現代のテクノロジーとは異なる「テクネー」のあり方や、別の未来の可能性を模索するためのきっかけとなりました。
本ページの感想は、受講生アンケートの回答を匿名で掲載したものです。文意を変える編集は行っていません。