OVERVIEW概要
技術史の第5回は、宮本常一の最後の弟子にあたる民俗学者・小島孝夫さんを迎え、技術史で初めて山梨県立大学の教室からのリアル配信となった(県立大のゼミ生も会場で参加)。テーマは、一人の海女さんが38年間毎日書き残した水揚げ記録の分析。「個人の一生の稼ぎをこうした形で示したデータは、おそらく日本で唯一」というこの記録から、熟練とは何か、体力が落ちても何がそれを補うのかが、数字でくっきりと浮かび上がった。
前半は民俗学という学問への入り口。彫刻をやるつもりで入った武蔵野美術大学で宮本常一の授業に出会い、えりも岬で40日間昆布採りのアルバイトをしながらつけた日記が「最初のフィールドワーク」になった。その帰りに二風谷で萱野茂さんから「シャモ(和人)が私たちの大事なものをみんな持っていった」と突きつけられた経験、そして『アイヌの民具』のための民具の実測図づくり——今では国の重要有形民俗文化財の指定要件になっている手法の始まりである。民俗学は「現在の当たり前が、どんな過去とつながっているのかを遡る歴史学」だという定義も示された。続いて三重県教育委員会が制作し小島さんたちが監修した映像で、海女漁の3つの操業形態(カチド・ノリアイ・フナド)と道具、海女小屋を学んだ。
核心は後半。海女のHさん(1929〜2026)は32歳で潜り始め、70歳まで潜った。水揚げ表を時系列に並べると、何でも採る時期→深く潜る練習→単価の高いクロアワビ狙い→57歳で「傷をつけない採り方」への転換という戦略の変化が見え、漁獲額は60歳を超えてからピークを迎える。傷アワビの割合は引退の年に1.8%まで下がった。さらに、引退を決めた年の日平均漁獲額は生涯の日平均をわずかに下回っていた——本人は意識していなかったが、「体でわかる」引き際があったのである。結びは、海女小屋という場が支える「巧まざる共有」による技の継承と、柳田國男の「目・耳・心」の三分類を踏まえた「民具から技術を読む」方法論。対話では職人技のモーションキャプチャーやAIによる継承の可能性、沓名さんからの「熟練は手だけでなく目の動き」という指摘まで広がった。
CONTENTS講義の内容
1. オープニング──技術史、初のリアル配信0:00–3:50
この回は山梨県立大学の教室からの配信で、県立大のゼミの学生と担当教員も会場で参加した。小島さんは「今朝まで千葉の調査地で原稿を書かされていて、2時間の仮眠で来ました」と笑う、宮本常一最後の弟子である。今日の話は、素潜り漁をする女性・海女さんの一生の稼ぎ。男性は「海士」と書いて「あま」と読む(島根の海士町のように)。「個人の一生をこうした形で示したデータは、おそらく日本で唯一」。そして予告として示されたのが、社会で定年とされる60歳を超えてから、稼ぎがピークになっていくという事実である。
2. 民俗学とは何か──「当たり前」を過去へ遡る歴史学3:50–11:40
民俗学は、ごく当たり前の日常生活がどうやって成り立ち、どう移り変わってきたかを明らかにする学問である。かつては「調査対象地が日本なら民俗学、海外なら文化人類学」と分けられたが、今は都内にモスクができ、同じ日本人でも世代で価値観がまるで違う。地域や国で線は引けなくなっている。会場の学生の「妖怪研究に興味がある」という話には、「妖怪探しで終わると面白くない。妖怪という概念で人は何を捉えようとしてきたのかと考えれば、ものすごく可能性がある」と応じた。
文字で記録されたものは書承資料、口頭で伝えられたものは伝承資料。時間を超えるのが伝承、空間を超えるのが伝播である。そして根本的なこととして、民俗学は歴史学の一部だという。歴史学がある出来事を同時代の視点で分析するのに対し、民俗学はいま直面している問題が、どんな過去とつながっているのかを、直近の過去に遡って探す。民俗資料は形のある有形と、所作や言葉など無形に分かれるが、物は何かを実現するために作られ、その実現には技がいる——両者は表裏一体である。「私たちが当たり前だと思っていることを、なぜ当たり前だと思わされてきたのか。それを確かめる学問です」。七沢は「まさに現代の当たり前を問い直す、メイカーズ・アンラーンです」と受けた。
3. 民俗学との出会い──宮本常一、えりも岬、二風谷11:40–20:10
小島さんの出身は武蔵野美術大学の彫刻学科。一般教養で取った民俗学の授業に現れた「おじいさん」が宮本常一だった(実家にはなぜか『忘れられた日本人』があり、高校時代に読んでいた)。夏休みのレポート課題のため、海を知らない埼玉育ちの青年はえりも岬で40日間、住み込みの昆布採りアルバイトに行く。仕事を覚えるために毎日つけた日記は大学ノート2冊——これが最初のフィールドワークになった。まとめきれずにノートのまま提出したら、後期の授業で宮本先生に「面白いことをやった学生がいる」と紹介され、「彫刻よりもっと面白いことがある」と気づいてしまう。
えりもの帰り、二風谷に萱野茂さん(のちに参議院議員として国会でアイヌ語で発言したことで知られる)を訪ねる。優しい声で、しかしきつい言葉で「シャモ(和人)が、私たちアイヌが大事にしてきたものをみんな持っていった」と聞かされ、突然加害者としての日本人代表のような立場に置かれた。その萱野さんが翌年、宮本先生を訪ねてムサビにやってくる。目的は、収集した民具をアイヌ語の部分名称・材質つきで本にすること。写真にトレーシングペーパーを重ねる案に対し、建築出身の教員が「図を描いてしまえばいい」と提案し、民具の実測図を描く作業が始まった。それが今では、文化庁が重要有形民俗文化財を指定するときの要件になっている。
4. 海女と海士──生態人類学の目で生業を見る20:10–27:40
海女を研究テーマにした理由は「えりもで、海にはこんなにおいしいものがあると気づいてしまったから」。昆布小屋の番をしながら、借りた刺し網でかかったアイナメを昆布出汁の鍋にして食べる毎日だった。卒業時に宮本先生から「彫刻か民俗学か、相談に来なさい」と手紙をもらい、勧められたのは川喜田二郎(『発想法』のKJ法の創始者)のもとへの進学。実際の指導は掛谷誠——霊長類学の流れを汲む生態人類学の研究者で、ゴリラを個体識別して1日を追跡するような参与観察を人間に当てはめる手法を学んだ(チャットでは島田さんが「私もトングウェの研究をしています。掛谷先生の教えを受けていたとは」と反応)。
素潜り漁の男女差も重要だ。女性の海女は集団で潜り、行動範囲が限られているので、小さいものは採らないなど互いに資源管理ができる。男性の海士は自分の船で単独操業するため常に競争で、漁場を荒らしがちだ。しかも高齢化した海女たちの漁場を荒らしているのは、自分の息子や孫だったりする——一つの漁場の中に抱えられた難しさである。
5. 映像で見る海女漁──カチド・ノリアイ・フナド27:40–41:00
小島さんたちが監修した三重県教育委員会制作の約10分の映像で、鳥羽・志摩の海女漁を見た。カチドは浜から泳いで漁場へ向かう形(漢字を当てるなら「徒人」)。ノリアイは一隻の船に何人もが乗り合い、トマエ(船頭)と相談して漁場を決める。フナドは海女一人と船上の介助者(夫婦や親子)が組になり、海女は重りを持って一気に潜り、合図で一気に引き上げてもらう——最も効率よく稼げる。浮上したときの「ヒューッ」という呼吸音は磯笛、規定の大きさに満たないアワビは寸法を測って元の場所に戻す。海に入るときに唱える「ツイヤ、ツイヤ」、魔除けの星形の印「セーマン」も映像に登場した。
民俗学では、地域の人たちの民俗語彙として捉え、あえて漢字を当てずにカタカナで表音表記する。「漢字を当ててしまうと、意味が固定されてしまうので」——これも民俗学の約束事である。
6. 道具と海女小屋──よもぎ、老眼鏡、盗まれるアジロ41:00–51:50
映像のあとは質疑と道具の話。耳抜きができないと耳を痛めるので、ウェットスーツの帽子が普及するまでは練りゴムを詰めて苦労した。イソメガネの曇り止めは唾ではなくよもぎの葉でこするのがいちばん。トマエ(船頭)には釣り漁師を頼む——網漁師は岩を避けるが、釣り漁師は岩場の海底地形を熟知しているからだ。カチドの海女は自分しか知らない場所へ、「畑にトマトやナスを採りに行く」ように丁寧に採ってくる。
単価が最も高いクロアワビは夜行性で、岩の隙間に手を差し入れて手探りで採るしかない(ウツボに噛まれることもある)。マダカやメガイは見えるところにいて採りやすい。ゴーグル以前は素目で潜り、ガラスが貴重な時代の二つ眼鏡から一眼の大きな眼鏡へ——そして後で効いてくる老眼用の度付き眼鏡も登場する。冬のナマコ漁は関西の需要に支えられている。
そして最も大事な「道具」が海女小屋。男性の海士は持っていない。海に出る前に火で体を十分温め、上がってきたらまた温めて帰る——海にいるのと同じくらいの長い時間をここで過ごし、おしゃべりするから「お互い悪いことができない」。実は海女たちは、潜りながら他人のアジロ(漁場)を盗んで覚えていく。それでも海女小屋で長い時間を共有することで仲間意識が強く保たれ、若い海女を育て、高齢の海女が続けていける仕掛けになっている。
7. 海女の加齢と熟練──38年分の水揚げ記録51:50–57:50
ここからが「今日の一番大事な話」。テーマ「体力・知識・技能はどう補い合うのか」は、七沢からの宿題だった。Hさん(1929〜2026、先月97歳で逝去)は、38年間、毎日の漁の記録を残していた。大学院生の小島さんは、調査中にHさんの家(鰹節屋)の空き家に居候し、運転手や鰹節削りを手伝いながら毎晩夕飯をごちそうになっていた。そのたびにHさんが何かをノートに書いている。聞けば「今日何を採ったか、いくらになったか」。
大学院では22人の海女集団をある時期で輪切りにする調査をしていたが、ここから一人の海女の一生を時間軸で追う研究に切り替えた。毎年通ってノートをコピーさせてもらい、引退まで続けた。方法は三つの組み合わせ——参与観察(生態人類学的方法。22人の海女を毎朝家の前で待ち、救命胴衣をつけて一緒に泳ぎ、水中ノートに記録する「合法的なストーカー」)、聞き書き(民俗学的方法。海女小屋で「今日どうだった」と聞く)、そして水揚げ記録との照合。表を本人に見せながら「この時はどうだったか」と思い出してもらうことで、本人も意識していなかった「戦略」が見えてきた。3人の子の大学・短大の費用も、息子2人の車も、すべて海女の稼ぎで賄っていたことも確認できた。
8. 戦略の推移──クロアワビへのこだわりを捨てたとき57:50–77:50
講義資料|素潜り潜水漁業者の生涯漁獲量・漁獲額(小島孝夫 作成)
Hさんはもともと農家の娘で、鰹節屋に嫁いだ。生魚をさばく血だらけの仕事、職人へのお茶出し、子育て——「海に行きたい」と言い出すと、夫は「採れるだけ採ってみろ」と許してくれた。32歳で潜り始め、68歳で引退、その後2年は海女小屋に所属せず気ままに潜り、70歳まで続けた。表から読める戦略の推移は次のとおりである。
| 年齢 | 採り方・戦略 |
|---|---|
| 32〜35歳 | 潜る練習。魚・タコ・エビ・貝殻(貝ボタンの材料)まで、見つけたものは何でも採る。「あの嫁は家の仕事をしないで海に行っている」と言われないためにも、何か持って帰らなければならなかった。 |
| 34〜38歳 | 目で見えるサザエやウニを採りながら、「あそこまで潜れるように」深く潜る練習。サザエは年間最大970kg近く。 |
| 37〜56歳 | 市場価値の高いクロアワビ狙いへ。37歳でアワビの84.6%がクロアワビ。以後30年近く、手探りで採る高単価のクロアワビにこだわり続ける。 |
| 57〜70歳 | クロアワビへのこだわりを捨て、傷アワビを少なくする採り方に転換。見つけたアワビを丁寧に、傷をつけずに剥がす技を身につける。傷アワビの割合は10%を切り、引退時には1.8%に。 |
57歳の転換は劇的だった。体力が落ち、息も短くなる中で、クロアワビ採りという「自負」から解放されてマダカやメガイも採るようになると、アワビの総漁獲量はかえって増え、59歳で1,281kgと年間1トンを超えた。アワビは吸盤で岩に張りつく前に、浮いているうちにスッとイソノミを差し込めば傷つけずに採れる——取り損ねたらわざと触って張りつかせ、息を継いでからもう一度採りに行く。「アワビと一緒に泳ぐんですよ」。
漁獲額を押し上げた社会的な事由も見えてきた。①3人の子の大学進学費用と進学祝いの車の購入という子育て期の目標(亡くなった後、娘さんが「ばあちゃん、まだお金が残ってる」と言うほどだった)。②昭和55年、浜にあった二つのノリアイ船の一方の船頭が引退し、二つの集団が一隻に合流したことで、互いの漁場を共有し、一気に使える漁場が広がった。③昭和62年、老眼用の度付きイソメガネの導入。老眼で潜ると「ここにあるはず」と思っても手が届かず、空振りで疲れる——それが、ぴたりとその位置へ潜って掴めるようになった。④平成9年、夫の発病と看護。家人としての自負が、さらに稼ぐ力になった。その結果、59〜66歳で年間漁獲額は400万円台、日平均は5万円台。実働は午前2時間、午後2時間の計4時間で、操業は年100日足らずである。64歳の年は日平均66,414円——夫が倒れて操業67日で終わったが、そうでなければさらに伸びていたはずだ。
9. 引き際は、体でわかる77:50–84:00
小島さんは「もしかして」と思って、プロ野球の生涯打率のように、生涯の日平均漁獲額と、引退を決めた年の日平均漁獲額を比べてみた。結果は、引退した年が22,262円、生涯の日平均漁獲額が22,694円。わずかに下回っていたのである。本人に聞いても「そんなことは考えなかった」。それでも、ずっと続けてきた仕事に踏ん切りをつける「体力の限界、気力の限界」は、自然を相手に働く人には感覚として、体でわかるのではないか。
しかも、海女小屋を離れて気ままに潜った最後の2年間の日平均は「結構いい額」だった。海の具合、水温、そして自分の体調を自分で判断しながら続けられる——だから今も80歳を超えた海女が、輪島でも志摩でも現役で潜っている。「80を超えても、無理しなければできるんですよ」。社会で定年を迎える年齢が、むしろピークになっていく。体力だけでなく、知識と技能をうまく補い合わせることで、若い人に負けない仕事ができる——それがこの一冊の水揚げ表が教えてくれたことだった。
10. 対話──熟練は、手と目に宿る84:00–92:20
沓名さんが音声で加わり、芸大彫刻の思い出を重ねた——先輩が1週間かけて慎重に削っていた石を、先生が一撃で仕上げてしまい「俺の1週間が一撃で終わった」と泣いていた。七沢も、漆の修業では手の動きがまるで違ったと応じた。では、その熟練は今、VRやモーションキャプチャー、AIで継承できるのか。
有松絞りの産地に関わる受講生が音声で応じた。職人の手の動きをモーションキャプチャーしてロボットアームで再現する試みを見たが、職人の振る舞いを含めた「身体を通じたアーカイブ」をどこまで学習できるかは怪しいと感じた。一方で、木材を削る職人の技をVRで見せて初心者に「どこまでが削りすぎか」を学ばせる建築スタートアップの例もある。うまく使えば役立つかもしれないが、海との対話の中で技を身につけることの意味が損なわれたら悲しい——有松では90代の括り職人が、老眼でも「手が覚えている」から美しく仕上げ続けている、と。沓名さんは絵画修復の研究を紹介した。熟練者は目が手の動きの先の先を読んで動いている。ロボットだけでは目がなく、手の動きだけになってしまう。目と手と五感をどう使いこなすか——そこに熟練の核心がある。
11. 海女の技はどのように継承されていくのか──巧まざる共有92:20–97:20
これも七沢からの宿題だった。小島さんは三つにまとめた。第一に、素潜り漁の特徴。到達目標は人それぞれで、深く潜れない人は浅瀬で採れるものを採り、アワビを採る人を羨ましがりはしない。漁獲額の差が反映しない、畑作業に似た愉しみ——小島さんは「海畑」という言葉を使う。自然環境への対応と、自分自身の身体の変調への対応を、うまく噛み合わせながら働ける。第二に、海女小屋という場。情報交換の場であり、同時に互いのアジロを邪魔しないよう調整する相互規制の場で、それが資源管理を実現している。第三に、アジロを増やしていく方法。一緒に潜れば誰がどこで何を採ったかがわかる。それでも本人の前ではそこで漁をしない——互いに遠慮し、存在に配慮しながら、「巧まざる共有」が成り立っている。そのことが集団内の稼ぎの平準化にもつながり、姑から嫁へ、嫁から姑へと技が行き来する。
七沢は、本来個人プレーになりがちな捕獲採集を、海女小屋という場が調整し、いい意味での競い合いを生んでいる点に注目した。「技が継承され、発展していくモデルになるかもしれない。メイカーズ工学科でもそういう場をつくろうとしているので」。
12. 質疑──命がけの海、道具、換金、そしてウミガメの墓97:20–114:00
七沢の「潜ると異世界。重力から解放され、一つ間違えば命を失うスリルと、狩猟の興奮がある」に対し、小島さんは海女が命を落とす大きな原因を挙げた——釣り糸である。アワビやサザエの餌になるカジメの林の下を探して浮上しようとしたとき、投げ釣りで切られた糸に絡まって上がれなくなる。刃物は持っていない。そのため今では海女たち自身が漁場の掃除をしている。
チャットの質問にも次々に答えた。道具は自作か?——マスクやウェットスーツはほぼ市販品だが、イソノミは各浜にいた鍛冶屋に作ってもらった。昔のイソメガネは真鍮製で、顔の形に合わせて作った(八重山では木を削った)。道具の細かな違いより、目利きと手さばきが取れ高に直結する。一人では採れない大きなアワビを見つけたら、仲間に助けを求めて一緒に石を動かす——男性の海士はしない。三陸ではアワビを船上から「アワビカギ」で、下北半島では「アワビ網」で採る、という地域差も。
島田さんからは「収穫の楽しみに加え、換金する瞬間も楽しいのでは。換金のシステムは安定しているのか」。基本はすべて漁協に出すが、民宿に頼まれて内緒で分ける「ないしょ」という言葉もある——ただし海女小屋に所属していると相互規制が働くので、それもしにくい。アワビは稚貝の放流も行われるが、太平洋側では海水温の上昇でカジメが枯れる磯焼けが進み、育っても食べるものがない。七沢からは西表島で、保護によって増えすぎたアオウミガメが海草を食べ尽くし、稚魚のゆりかごが失われている話も。脱線として小島さんが紹介したのが「ウミガメの墓」。明治40年代に漁船の動力化と漁法の機械化が進み、網に巻き込んでウミガメを死なせてしまうようになる。海の神の使いを殺した祟りを恐れつつ、人はしたたかに、自分が殺したカメを自分で祀って「自分だけの神様」にしていった(銚子・川口神社の石塔)。また、貝類は「採集」ではなく「採捕」と書く、という用語の話もあった。
13. おわりに──民具から技術を読む114:00–119:10
まとめも七沢からの宿題「民具から技術を読む」への応答だった。民俗学の確立者・柳田國男は1934年『民間伝承論』で民俗資料を三つに分けた。目で見る有形文化(旅人の学)、耳で聞く言語芸術(寄寓者の学)、心で感じる心意現象(同郷人の学)。今日の民具の話は「目で見る」旅人の学にあたり、Hさんの家に居候していた自分はまさに寄寓者だった。技術史を考えるとき、肉眼で確かめる旅人の学という視点は、まだまだ有効である。『アイヌの民具』の実測作業で、計測して展開図を描き、部分名称と材質を書き入れ、萱野さんたちの解説を聞く——物から理解するとはこういうことかと実感した。民具は、地域社会や集団の文化と生活を理解するためのインデックスなのである。
「民具」という言葉をつくったのは渋沢敬三、民具学を体系化したのは宮本常一。ただし物だけでは日常生活や身体技法は復元できない。使用者・生活者からの聞き書き(ライフヒストリー)と、使用者・生活者に対する参与観察が欠かせない。身近な植物素材で作る道具は、使う人が作る人でもあることが多いからだ。許されるなら、その場で技を教わり、自分でも確かめていく——そうして初めて「民具から技術を読む」ことが可能になる。
14. クロージング──森で、民具をつくって暮らす119:10–124:26
七沢から、来年に向けた構想が語られた。2万坪の森で、かつて雑木林で行われていた炭焼きをはじめ、昔の民具を実際に作り、それで暮らしてみる——土器、炭、植物繊維の縄、漆まで。メイカーズ・アンラーンでも、開設予定のメイカーズ工学科でも、作ることと実践を重ねていく。そのときぜひ民俗学の観点からコメントを、と。最後に島田さんの「老齢まで続けられる仕事の中で、子育ては誰が担うのか」という質問に、Hさんの場合は姑が赤ん坊を抱いて浜で待ち、潜る合間に授乳していた(ただ体が冷えて、赤ん坊がなかなか飲んでくれなかった)というエピソードが紹介された。かつての海女は上半身裸、ふんどしひとつで重りを腰に巻いて潜っていた——そんな写真も残っている。次回10/8(木)は酒井朋子さんの「汚穢と技術」、その次は古代メソポタミアの小泉龍人さんへと続く。
SUMMARY今夜の要点
- 民俗学は「当たり前」を遡る歴史学いま当たり前だと思っていることが、どんな過去とつながっているのかを、直近の過去に遡って確かめる。有形の民具と無形の所作・言葉は表裏一体である。
- 日記と実測図から始まったえりも岬で仕事を覚えるためにつけた日記が最初のフィールドワークに。『アイヌの民具』のために始めた民具の実測図は、いまでは重要有形民俗文化財の指定要件になっている。
- 一人の一生を時間軸で追う集団をある時期で輪切りにするのではなく、一人の海女の38年分の水揚げ記録を、参与観察・聞き書きと照合する。本人も意識していなかった「戦略」が数字に現れた。
- 熟練は60歳を超えてからピークを迎える何でも採る→深く潜る練習→クロアワビ狙い→57歳で傷をつけない採り方へ。こだわりを捨てると総漁獲量はかえって増え、傷アワビは引退時に1.8%。年間漁獲額400万円台、日平均5万円台は60代のことだった。
- 体力を、知識と技能と道具と社会が補う子育ての目標、漁場を広げた集団の合流、老眼用の度付きイソメガネ、家人としての自負。体力の衰えは、技と知識、そして道具や社会の変化によって補われていく。
- 引き際は体でわかる引退を決めた年の日平均漁獲額は、生涯平均をわずかに下回っていた。本人は意識していなかった。自然を相手にする仕事には、自分の体調と自然の具合を自分で判断しながら80歳を超えても続けられる余地がある。
- 海女小屋が「巧まざる共有」を支える到達目標は人それぞれで、畑作業に似た愉しみがある。海女小屋は情報交換と相互規制の場であり、互いのアジロを盗みながらも遠慮し合うことで、技の継承と資源管理が両立している。
- 民具から技術を読む柳田國男の「目・耳・心」の三分類のうち、肉眼で確かめる旅人の学はまだ有効。ただし物だけでは足りず、使い手からの聞き書きと参与観察を重ねて、はじめて民具から身体技法が復元できる。熟練は手だけでなく、手の先を読む目にも宿る。
APPENDIXチャット欄から(匿名要約)
- 島根の海士町は「海士」から来た地名なのか?——男性のあまは「海士」と書く、という講義冒頭の話につながった。
- カチドに漢字表記はあるか?——当てるなら「徒人(御徒町の『かち』)」。ただし民俗学ではあえて漢字を当てない。「漢字を当てないことにも意図があるのですね」。
- 星形の印「セーマン」は、陰陽道の「ドーマン・セーマン」のセーマンか?——どちらも魔除けのまじない。
- フナドでは、引き上げる力が強い側(親子なら親、夫婦なら夫)が船に残る。技術だけでなく文化にも影響しそうだ。重りをつけて潜るのは信頼関係がないとできない、という声も。
- よもぎで曇り止めとは知らなかった。よもぎは保存しておくのか?——冬は潜らないし、夏場はいくらでも生えている(冬に潜るナマコ漁の地域でも、霜が少なく手に入る)。
- 小学校の臨海学校で、房総の海女さんからウツボに小指をかじられた話を聞いて衝撃だった——クロアワビは手を差し込まないと採れない、という話と重なった。
- ゴーグルがない時代、視界はどう確保したのか?——素目(裸眼)。慣れれば見える。船上からは箱眼鏡や、海面に油をまいて見る方法もあった。
- 海女同士はライバル関係と助け合いのどちらが強いのか?——海女小屋による相互規制と「巧まざる共有」の話へ。「潜らないと獲物の状況がわからないという情報環境が協力関係を促したのでは」という考察も。
- 「引き際を体で感じ取る」話に、老いのペースとは区別して感じ取れるのがすごい、「80を超えても無理しなければできる」は嬉しい言葉、という感想。
- 海女の道具は各自で作るのか? 道具や取り方の共有と牽制はあるか?——イソノミは浜の鍛冶屋に作ってもらった。道具の細かな違いより、目利きと手さばきが取れ高に直結する。
- 沓名さん:狩猟や探索のような仕事では、「見つけられるかどうか」の目をつくることが非常に重要で、その習熟が一番大事に思う。
- 島田さん:換金の瞬間も楽しいのでは? 換金システムは安定しているのか。/老齢まで続けられる仕事の中で、家族の子育ては誰が担うのか。——いずれも口頭で回答。
- 「採集」ではなく「採捕」と書くのはなぜか?——海藻は採集だが、アワビなど貝類は採捕と書く。