OVERVIEW概要
技術史の第2回は、野生チンパンジーの「遊び」をライフワークとして研究してきた島田将喜さんによる、技術の起源をヒト以前まで遡る回。タンザニア・マハレで25年間続けてきた調査の実感とビデオデータをふんだんに使いながら、「技術=人間だけのもの」という技術像を解体していく2時間になった。少人数開催を活かしてブレイクアウトなしの全編対話形式となり、章の切れ目ごとに七沢・相馬さん・受講生からの質問が飛び交う、ゼミのような濃密さだった。
前半は、チンパンジー理解の土台から。ヒトとパン属(チンパンジー・ボノボ)の分岐は約700万年前——マウスとラットの分岐(2500万年前)よりはるかに近い「いとこ」である。父系社会、離合集散、狩猟と肉の分配、政治的駆け引き、そして戦争的現象まで、「人だけのもの」とされてきた特徴の多くをチンパンジーが持つことが、人の定義論争を揺さぶってきた。そのうえで本題のアリ釣りへ。幅3ミリ・平均34センチのプローブを作り、そっと挿し、そっと引き抜く——素材の選択・加工・操作の連鎖にこそ技術が現れる。しかも25分釣って得られるのはサクマドロップ1個分(約15.6kcal)。栄養学的必要では説明できず、「どうも遊びっぽい」。おばあちゃんは何も教えず、血縁のない子どもが道具をひったくっても怒らない——それが彼らの学習である。
後半は、ボッソウ(西アフリカ)のナッツ割りへ。台石がぐらつけば補助石をかます——複数の物と動作を正しい順序で関係づける行動・認知の階層性は、言語の文法構造と美しく響き合う(松沢哲郎の議論)。4300年前のチンパンジー石器遺跡の話から、初期人類のオルドワン石器との違い(目的とテクニカルプロセス)まで踏み込み、相馬さんの「Bの石器は旧石器クオリティ」で場が沸いた。結びは社会的学習の3分類。チンパンジーは無駄な手順を省く目的模倣(エミュレーション)が得意で、ヒトの子どもは無駄と分かっていても丸ごと真似る真の模倣(過剰模倣)をする——この一見「賢くない」能力こそが、累積する技術と文化を支えている。「僕は目的模倣タイプ。猿なんだ俺は」(相馬さん)という名言も飛び出した。
CONTENTS講義の内容
1. 導入──技術は理性に先立つ0:00–3:38
七沢の導入は前回の続きから。人間の言語・思考・理性がすべてを形作ってきたと考えられがちだが、技術は理性に先立つ(木田元『技術の正体』)。歴史的に見ても技術が先にあり、社会が作られてきた。AIという技術に引きずられて「知性・理性」という近代パラダイムの最上位概念が引きずり降ろされ、異なる何かをベースにした社会がありうるとしたら——「AIの奴隷になる」のではない未来が見えてくる。その足場として、今夜はヒト以前の技術を目の当たりにする。
2. 技術を見る視点──環世界・アフォーダンス・外化3:38–16:10
島田さんは冒頭、第1回で紹介された「技術とは生きとし生けるものがそれぞれの環世界を作る技」という定義(原島)に「非常にピンときた。さすが哲学者はいいことを言う」と共鳴を表明。生物ごとに世界の見え方=アフォーダンスは異なり、その発見と生成のやり方の一つが道具の使用である。道具とは身体機能の外化(七沢の定義を引いて)であり、今日の主張は「こうした意味での道具と技術は、人間だけのものではない」。道具がどんな素材で作られ、どう作成され、どう操作されるかの連鎖の中にこそ技術が現れる——この視点で生き物たちの技術を見てほしい。
ひとつだけ注意も。「チンパンジーがこうするから、人間もこうすべきだ」という「である」から「べきだ」へのすり替え(自然主義的誤謬)は正当化されない。系統学的な違いを正しく理解した上で、私たちがなぜこう行動するのかを考えるヒントにしてほしい——「私の講義はヒントを与えるもので、結論を与えるものではない」。
3. チンパンジーはヒトの「いとこ」──共有される特徴16:10–29:30
ヒトとパン属の分岐は約700万年前。「マウスとラットはどっちもネズミでしょ」と言われるが、両者の分岐は2500万年前——ヒトと小型類人猿(テナガザル)の分岐に相当する。それに比べれば600万〜700万年は進化的に「つい最近」で、チンパンジーはヒトのいとこである。そして初期のチンパンジー研究は、人に固有とされてきた特徴の多く——父系社会、離合集散、狩猟肉食と血縁のない個体への食物分配、オス同士の政治的駆け引き、集団間の戦争的現象、多彩な道具使用——をチンパンジーが共有することを発見し、「政治をするのが人間だ」といった人の定義論争に大きなインパクトを与えた。
チャットの質問にも即答が続く。コミュニティの規模は平均70〜100頭、150頭に達すると分裂の兆候が現れる(「ダンバー数と似てますね」「いいところに気がつきましたね」)。実際にウガンダのブドンゴでは200頭超の群れが分裂し、分裂後の2群が闘争した。戦争的現象がすべての集団に共通するかは「言い切れない。何がドライブになっているかは今なお論争中。極めてレアな現象だからこそ、長い調査が必要」。
4. マハレ──61年続く調査地から29:30–45:36
島田さんの調査地は、タンザニア西部・タンガニーカ湖畔のマハレ山塊国立公園。60年以上前に師匠筋が開設し、日本の調査隊が調査を続けてきた場所で、島田さん自身も2001年から25年間通っている。チンパンジーは完全に人に慣れ、観察者の横をすり抜けていく。全頭を個体識別し、家系と性格まで把握することが調査の前提である。湖を船で渡るアプローチ、森の中に現れる白い漆喰の「ホワイトハウス」、ソーラーパネルとレモネード、キャンプを日常的に横切るチンパンジーたちのパントフート(長距離音声)——25年の調査生活が映像で紹介され、子を残せなかったのに他人の子を抱っこしたがり「養子取りをめちゃくちゃやった」おばあちゃんグウェクロのような個体たちの物語が、調査の解像度を物語った。
受講生からの「気候によっても文化の違いが出るのか」という質問には、重要な方法論が示された。服装が気候で違うようなものは生態学的な違いで説明できてしまう。だからチンパンジー研究では、生態学的違いによっては単純に説明不可能な地域差だけを「文化の可能性のある行動」と呼ぶ——人間には甘く動物には厳しいダブルスタンダード批判をかわすための、あえて厳格な基準である。
5. アリ釣り──サクマドロップ1個分のために25分45:36–70:00
マハレのチンパンジーの活動時間配分のグラフからは、島田さんの研究の核心が見える——「ジジイババアになってもずっと遊んでる。なんなら死ぬまで遊ぶ」。採食・休息・移動のあいまに、遊びの赤い帯が老齢期まで消えない。そしてアリ釣りは、子ども期に獲得され、生涯続けられる行動である。
マハレのオオアリは樹幹に水平の巣穴を作る。チンパンジーは葉の中肋などから幅3ミリ・平均34センチの針状のプローブを削り出し、そっと挿入し、少し待って、そっと引き抜く。硬すぎても柔らかすぎてもだめで、釣れなければ加工して長さを調整し、予備の棒まで用意する。素材の選択、植物の知識、どの木にアリの巣があるかの知識、アリの性質の知識、社会的に落ち着いた状況の確認——行動要素がうまく連鎖して初めてアリ釣りは完成する。ここにこそ技術が現れている。
観察学習の場面も映像で示された。血縁のないおばあちゃんクリスティーナがアリを釣っていると、子どもたちがじっと覗き込む。1〜2歳の子がアリ釣り棒をひったくって口に運んでも、おばあちゃんは怒らず、予備の棒で釣りを続行する。「別に何も教えていない。ただ釣ってみせているだけ。これが彼らの学習なんです」。
島田さん自身がアリ釣りに挑戦する映像では「こっちの方が成績いいですね」「入れ食いだわー」と大盛り上がり——ただし種明かしとして、使ったのはアシスタントが回収してきたチンパンジーたちが作って捨てたプローブの再利用だという(「クリスティーナが下手だったわけではない」)。そして衝撃の栄養計算:アリは1匹ずつは蟻酸で酸っぱいだけの低栄養で、25分のアリ釣りで約390匹=約15.6kcal——サクマドロップ1個強。果実を食べた方がはるかに効率的なのに、彼らはハマる。「栄養学的に必要だからやっているとは思えない。持てる知識と技術を総動員してやっている。どうも遊びっぽいぞ、というのが本当は主張したいこと」。
まとめはアフォーダンスに戻る。同じ木が、ベッドの材料にも、武器にも、食物にも、そして一部を針状・ひも状に加工すればアリ釣り道具にもなる。チンパンジーには森が、私たちとは全く違うように見えている——彼らは彼らの環世界を、技術によって生み出している。
質疑では「なぜ外にいるアリではなく、わざわざ巣のアリを釣るのか」(相馬さん)に「釣ると兵隊アリがわちゃわちゃ出てくる。それが楽しいんじゃないのかな——擬人的だと怒られるんですけど」。釣りの中毒性、ドーパミンを非侵襲で研究できたら、という夢も。アリ釣りの巧拙には個体差があるが、上手い個体が他の行動でも優れているという証拠は一つもない。ウリボウ狩りの質問からは集団狩猟の実際——樹上へ追い込む役と地上で待ち構える役、樹冠を飛び移るたび重力で下がっていく獲物、捕獲後は順位に基づく強奪戦——まで話が広がった。
6. ボッソウのナッツ割り──階層性と、チンパンジーの石器遺跡79:55–95:20
チンパンジーの文化論はWhitenらの1999年Nature論文「チンパンジーの文化」以来、高校教科書に載る事実になっている。39の行動レパートリーの地域比較で見ると、アブラヤシはマハレにもボッソウにも豊富にあるのに、マハレのチンパンジーは見向きもせず、ボッソウのチンパンジーは徹底利用する——生態学的違いでは説明できない地域差、すなわち文化である。マハレの道具使用がほぼ植物質に限られるのに対し、ボッソウは石を、しかも複数組み合わせて使う。
ナッツ割りは、やってみると非常に難しい(島田さんは自分の子どもで実験済み——力が強すぎてナッツが粉々になる)。台石がぐらつくときは、賢いチンパンジーは台石と地面の間に補助石をかます。台石に補助石をかまし、その上にナッツを置き、ハンマーを適度な力で叩きつける——複数の動作によって物と物が関係づけられ、正しい順序を経ないと成功しない。この行動・認知の階層性(松沢哲郎)は、主語・目的語・動詞が正しく並ばないと意味をなさない言語の文法構造と非常によく似ている。「言語起源論として美しい」。
さらに最新の展開として、コートジボワール・タイ国立公園の4300年前の地層から出土したチンパンジーの石器の話へ。割れ方が人類の打製石器とは違い、ナッツ割りの打撃痕として蓄積していた(2007年)。現在は初期人類のオルドワン石器との比較まで研究が進み、違いは目的とテクニカルプロセスにある——チンパンジーはナッツを割るために石を使い、初期人類は石片(ナイフ)という別の道具を作るために石と石を打ち合わせた。チャットでは相馬さんの「Bの石器は旧石器クオリティですね!」に島田さんが食いつき、「実験考古学でだいぶ理解が進んだ」「めちゃくちゃ面白い。番外編やりましょう」と盛り上がった。
7. 遊びが文化を再生産する──発達の性差と地域差95:20–104:30
ボッソウの子どもは、0.5歳で単一の物体を操作し、1.5歳ごろから2つ以上の物体を組み合わせて遊び、3.5歳でナッツ割りができるようになる。島田さんが驚いたのはここだ——マハレのチンパンジーは、物と物を組み合わせる遊びをそもそもしない。「私、見たことないです」。マハレでは岩石の保持自体が極めて稀で、子どもも大人もほぼ植物質のものしか手に取らない。一方で保持物に占めるアリ釣り利用の割合は成長とともに増え、メスは大人になると保持物の約5割をアリ釣りに使う——はっきりした性差もある(オスは2割程度)。
ここから見えてくるのは循環構造である。所属集団の大人の物質文化が子ども期の遊びに影響を与え、遊びを通じた技術の獲得が、大人の文化を支える——このループによって、ボッソウの文化とマハレの文化はそれぞれ延々と再生産されていく。
8. 社会的学習──真の模倣はなぜ「賢くない」のに強いのか104:30–110:40
社会的学習——他個体の観察やインタラクションを通じ、遺伝によらずに情報を共有し、次世代に伝達する手段——は3つに分類される。真の模倣(true imitation)、目的模倣(エミュレーション)、刺激・局所強調。有名な透明・不透明ボックス実験では、手本が「上に棒を突っ込んでから、横に棒を挿して餌を取る」のを見せたとき、チンパンジーは透明ボックスなら無駄な手順(上)を省いて横だけをやる——目的模倣であり、ある意味「賢い」。ところがヒトの子どもは、無駄だと分かっていても上の手順まで丸ごと真似る(過剰模倣)。この目的とは無関係に「とにかく手本と同じにやる」能力こそが、一人では作れないスマホに至る累積的な技術と文化の獲得を支えている、と心理学者は考えている。
9. 議論──「僕は目的模倣タイプ。猿なんだ俺は」110:40–122:35
最後の議論は今回のハイライト。相馬さんが「私、真の模倣じゃなくて目的模倣タイプなんですよ。人の行動を見て因果を分析して、そこだけ取り出して真似する。畑も炭焼きも、原理だけ理解してオリジナルでやっちゃう——猿なんだ俺は」と爆弾発言。島田さんは「アリ釣りをじっと眺める子どもはまさにそれ。目的さえ分かれば、あとは自分で学習する」と応じつつ、目的模倣は行動の振れ幅が大きくなる=オリジナル(発明)が生まれやすいという含意も。参考文献としてトマセロ『思考の自然史』(橋彌和秀訳)が紹介された。
受講生からは「不透明ボックスでは道具を段階的に増やして階段を登るのに、透明ボックスでは手を動かさずに『無駄だ』と気づける——両方できるのが不思議」という鋭い質問。島田さんは、長期の自然観察と、要素を切り出して検証する心理学実験というアプローチの違いを解説し、「エミュレーションと真の模倣のどちらが多いかをはっきり見せたところが、あの実験の美しさ」と締めた。事前打ち合わせから毎回盛り上がりすぎるという技術史チームらしく、「まだまだ議論したい感じですが」と名残惜しく閉会。次回9/28(月)は相馬皓介さん「『あるもので、なんとかする』──現代の道具を排して見えた縄文の知性」。10月の原初技術実践への誘いも。
SUMMARY今夜の要点
- 技術は理性に先立つ言語・思考・理性がすべてを形作るという近代の見方に対し、歴史的にも系統発生的にも技術が先にある。AI時代の「知性最上位」パラダイムを問い直す足場になる。
- チンパンジーはヒトのいとこ分岐は約700万年前——マウスとラット(2500万年前)よりずっと近い。父系社会・分配・政治・戦争的現象・道具使用まで共有し、「人の定義」を揺さぶってきた。
- 連鎖の中に技術が現れる素材の選択・加工・操作・状況の見極めがうまく連鎖して初めてアリ釣りは成立する。道具=身体機能の外化は、環世界とアフォーダンスの発見・生成の技である。
- 栄養では説明できない——遊びが駆動する25分で約390匹=サクマドロップ1個強。それでもハマる。老齢になっても、死ぬまで遊ぶ。遊びが技術の獲得と持続を駆動している。
- 教えない学習おばあちゃんはただ釣ってみせるだけ。道具をひったくられても怒らない。観察と遊びを通じて、子どもは技術を身につけていく。
- 文化は生態では説明できない地域差マハレはアブラヤシを使わず、ボッソウは石を組み合わせてナッツを割る。大人の物質文化→子どもの遊び→技術獲得→文化の再生産、というループが地域文化を維持する。
- 階層性は言語に似る補助石→台石→ナッツ→ハンマーの正しい順序。行動・認知の階層性は文法構造と響き合う(松沢)。チンパンジーの石器は4300年前の遺跡になっており、初期人類の石器とは「目的とテクニカルプロセス」が違う。
- 過剰模倣がヒトの文化を支えるチンパンジーは無駄を省く目的模倣が得意。ヒトの子どもは無駄ごと丸ごと真似る「真の模倣」をする——この一見賢くない能力が、累積的な技術と文化の獲得を可能にした。
APPENDIXチャット欄から(匿名要約)
- チンパンジーのコミュニティの規模は?——平均70〜100頭。150頭で分裂の兆候。「ダンバー数と似てますね」の指摘も(相馬さん)。
- 戦争行動はすべてのコミュニティに共通?——言い切れない。マハレやゴンベでは知られるが、何がドライブかは今なお論争中。
- アリ釣り棒は使い捨て?——基本的に使い捨て。他個体の再利用は「ほとんどない」(ゼロではない)。
- 外にいっぱいアリがいるのに、なんでわざわざ(笑)——兵隊アリがわちゃわちゃ出てくるのが楽しいのでは。釣りの中毒性。
- アリ釣りの巧拙の個体差は?上手い個体は他でも優れている?——個体差はあるが、他の行動との相関の証拠は一つもない。
- アリ釣り以外の道具使用や、アリ釣りに注目する背景は?——他の道具使用も身体性と切り離せない。マハレで自身が研究してきた主題だから。
- 「Bの石器は旧石器クオリティですね!」(相馬さん)——1回割っただけではできない割れ方。実験考古学の進展の話へ。「番外編やりましょう」。
- アリ釣りやナッツ割りで、真の模倣と目的模倣は単独で見られる? 先に真の模倣をしてから目的模倣に移りたくなるのでは——観察研究と心理学実験のアプローチの違いから丁寧に回答。トマセロ『思考の自然史』が紹介された。