ARTIFICIAL LIFE & MASSIVE DATA FLOW

テクノロジーの未来学 第7回
AI and ALIFE
──人工生命から考える未来世界

まとめレポート(講義動画 2時間10分42秒より作成)

講座
makers Unlearn(mU)
講師
池上高志(東京大学特任教授/AISAC教授・センター長)
モデレーター
七沢智樹
開催
2026年7月30日(木)

OVERVIEW概要

人工生命(ALIFE)研究を日本で牽引してきた池上高志が、自身の研究史を4つの章に沿って語り直しながら、「生命とは何か」「未来に何を作るのか」を問うた回。レクチャー編の最終講にふさわしく、データ・科学の自動化・LLM・単細胞生物・アート作品が一本の線でつながっていく。

出発点は2010年前後。ゼブラフィッシュの発生を3次元レーザーで丸ごと記録する、家中にマイクとカメラを仕掛けて子どもの言語獲得を23万時間撮り続ける、ルービックキューブの「神の数字」を1000台規模の計算機で解く——こうした事例が示すのは、人間が頭で描いたストーリーやモデルから、データそのものが駆動して世界が立ち上がる方向への転回だった。池上はこれを「ビッグデータ」と区別してマッシブ・データフローと名づける。

そこからロス・キングのロボット科学者、LLMによる科学の自動化(=科学のマクドナルド化)へ進み、テトラヒメナの1細胞RNA解析では「集団が先で、個性は後から出てくる」という原理が示される。締めくくりは万博出展作《進化の木》と座右の銘のスライド——「これまでと異なる感情・技術・言語を作り出し、それによって人生の別の可能性、別のユートピアを得ること」。後半48分の対談では、欲望はどこから来るか、身体性とは何か、なぜノイズが創造性の源なのかが生々しく交わされた。

タイムスタンプは講義アーカイブ動画の再生位置です。スクリーンショットは講義スライドの引用(©池上高志)。受講生が映り込む領域は処理して除いています。

CONTENT内容

1. 開講と講師紹介0:03:32–0:08:14

七沢がレクチャー編の最終回として開講を告げ、次回(最終第8回)は七沢と長谷川愛が未来を問い直すための視点を提示したうえで、ブレイクアウトルームでのディスカッションを多めに取る構成であることを予告する。

続いて池上高志を紹介。この3月まで東京大学で教鞭を執り、4月からは新たな人工生命研究拠点AISACを立ち上げている。七沢は、日本で人工生命研究が盛んだと言われるのは池上の存在が大きく、多くの門下生を輩出してきた影響力に触れた。池上は「受講生の皆さんは人工生命が何なのかというところから分からないと思う」というリクエストを受け、ALIFEそのものではなく「その前段階から話す」と述べて画面共有に入る。

2. 第1章 マッシブ・データフロー——データに語らせる時代0:08:14–0:17:17

第1章の扉スライド Massive Data Driven
0:08:25第1章「Massive Data Driven」。ディープラーニング以前の2010年前後に何が起きていたか、から話は始まる。

第一の例はゼブラフィッシュ。受精卵が64個から16000余りの細胞へ分裂して個体を作っていく過程を、3次元方向からレーザーで撮像し丸ごとデータとして記録した研究である。「発達とは何か」を口で語る代わりに、データとして見られる時代が来た。

ゼブラフィッシュの全細胞記録
0:10:00ゼブラフィッシュの発生。受精卵が64個から16000余りの細胞へ分裂していく過程を、3次元方向からレーザーで撮像し丸ごと記録した。

それまで発達の記述は「1年半で言葉を喋った」といったアネクドータルなものだったが、機械が撮ることで客観的なデータになった。さらに重要なのは、父母がどこにいるか、家の間取りがどうかといった環境こそが言語発達を構成していると分かったこと。「言語発達は赤ちゃんの頭の中だけで起こっている」という概念を覆したエポックメイキングな研究だった。

Deb RoyのSpeechomeプロジェクト
0:12:25デブ・ロイ(MITメディアラボ)のSpeechome。自分の子どもの誕生に合わせて家中にマイクとビデオを仕掛け、3年で約23万時間の音声・映像を記録した。

これを証明したトーマス・ロキッキらは、美しい方程式を解いたのではなく、Googleのメンバーと1000台規模の計算機を回して解いた。ロキッキはライフゲームで最後まで見つかっていなかった移動体パターンを発見した人物でもある。

3. データ駆動のアートと「機械の意識」0:17:17–0:25:37

filmachine YCAM 2006
0:17:20《filmachine》(YCAM, 2006/渋谷慶一郎との共作)。20個ほどのスピーカーを円筒状に空間配置し、音源が3次元的に動き回る立体音響作品。
ルービックキューブの神の数字
0:15:00ルービックキューブはどんなパターンからも20手で必ず解ける(「神の数字」)。組み合わせ数は約10の19乗——アボガドロ数の1万分の1。

2009年頃、池上はアートを始める。理由は「データの方が実際よりもすごい」という感覚だった。音楽を1つのアルゴリズムから作るのではなく、人間とアルゴリズムの共作として、一言では言えないデータの塊として作る。《Mind Time Machine》(YCAM, 2010/新津保建秀との共作)では、15台のビデオで3〜4ヶ月ずっと来場者を記録・蓄積し、スクリーンに映し続ける機械に生命性が宿るかを問うた。

「データ量が多くなって、ストーリーを作れないくらい複雑になったデータの状態こそが、生命に近い」— 池上高志(0:20:40)

この作品を携えてGoogleのカリフォルニア本社でマシン・コンシャスネスのセミナーを行ったが、当時は「意識と関係ないよ」と相手にされなかった。しかしエンジニアと話すうち、24時間365日メールを落とさないために組まれた並列処理のアルゴリズムが、脳のアルゴリズムと非常に似ていることに気づく。ここから池上のポリシーが導かれる。

「生物を見て生物を作っちゃいけない。生物を見て生物を作ろうとすると大失敗する。そうじゃなくて、別のことのためにどういうアルゴリズムが必要なんだと考えて作っていくと、結果としてそのアルゴリズムが生命でも使われるようになる」— 池上高志(0:25:04)

4. 第2章 科学の自動化——ロボット科学者からDNCへ0:25:37–0:30:51

Ross Kingのロボット科学者Adam/Eve
0:26:102009年、ロス・キングによるロボット科学者「Adam / Eve」。Adamは試験管を運び試薬を入れるハードウェアのループ、Eveは結果を読み取り仮説を更新するソフトウェアのループ。

この2つを組み合わせれば、科学者がやっているプロセスそのものが分かるはずだという発想だった。池上は数年前の研究会でキング本人に会い、「LLMが出てきて、まさにオートメーション・オブ・サイエンスになっているじゃないですか」と話したところ浮かない顔をされたという。キングはPrologという古典的な言語で設計してきた研究者で、ニューラルネットワークでやられるのが気に食わないらしい。たとえば当時(2015〜16年頃)、微分可能ニューラルコンピュータ(Differentiable Neural Computer)やニューラルチューリングマシンなど、コンピュータそのものをニューラルネットで実装しようという動きがあった。

DNC 微分可能ニューラルコンピュータ
0:28:55同時期に発表されたDNC(微分可能ニューラルコンピュータ)。メモリとCPU、読み出しと書き込みという計算機の構造そのものを巨大なニューラルネットで模倣する試み。

ただし実装すると動かない。データ数を30から40にした途端に壊れるなど、サイズに対して不安定で、世界中が悩んだ。

5. 第3章 大規模言語モデル——自律性と、エージェント集団の実験0:30:51–0:41:20

第3章の扉スライド Large Language Model
0:31:40第3章「Large Language Model」。池上はLLMを、第1章のマッシブ・データフローと第2章の科学の自動化を統合するモデルとして位置づける。

仕組みの説明は具体的だ。単語(トークン)を1500〜1600次元のベクトルで表し、そのベクトルを伸ばし、縮め、回転させながら掛け算・足し算していく。GPT-3なら96回繰り返し、最後に次のベクトル=次の単語を予測する。「そんなものをでかくしただけで何ができるのか」と思われていたが、普通に話せるまでに成長した。

2023年、スタンフォードとGoogleのグループがGenerative Agentsを発表。各エージェントをLLMで動かし互いに会話させると、勝手にバレンタインデーのパーティーを始めた。池上はここに自由意志あるいは自律性の登場を見る。「機械にも自律性やモチベーション、デザイヤーがない限り、科学者は作れないんじゃないか」。

池上らも追試を行った。ただし家も庭もなく、真っさらな2次元平面で、近くの者同士が話せるだけの実装から始める。するとエージェントたちは自発的にハッシュタグを作り出した。会話が届く半径を0にすると、エージェントは常に動き回りハッシュタグは大量に作られるが、可視化すると独立に喋っているのに内容はほとんど同じ。半径を5、10、15と広げると、作られるハッシュタグの数は減る一方で発話内容は多様に散らばる。言い換えれば、会話によってハルシネーションが抑えられ、まともなことを喋るようになる。

6. AI Scientist と「科学のマクドナルド化」0:41:20–0:45:28

2024年にSakana AIが発表した「AI Scientist」。LLMがアイデアを出し、プランを立て、そのアイデアが新しいかチェックし、スコアリングし、実験テンプレートを作り、コーディングして実験を回し、データが出たらプロットして論文にまとめて投稿する。ロス・キングが20年早く夢見た「科学者そのものの自動化」が、LLMによって実現した形である。

Sakana AIのAI Scientistのパイプライン
0:43:32AI Scientistのパイプライン。アイデア生成→新規性チェック→実験テンプレート作成→コード生成と実験の反復→論文執筆・査読までが閉じたループになっている。
McDonaldization of Science
0:45:28ジョージ・リッツァー『社会のマクドナルド化』を引く。要素は効率・予測可能性・計算可能性、そして human out of the loop(人間をループの外に追い出すこと)。

スペインの山奥でもマクドナルドがあると安心するのは、同じサービスが提供されるからであり、その担保がこの4つ。誰が作るかは関係なくなる。科学のオートメーション化は、まさにこれをやっている。

「サイエンスのオートメーションというのは、つまり科学者のオートメーション化ということになってしまうんじゃないか、という時代になってきた」— 池上高志(0:43:22)

7. 質疑①——欲望はどこから来るか、創発の境界はどこか0:45:28–0:57:04

「LLMはいかにしてデザイヤーを獲得するのか」という問いに、池上は「それが今の僕らの研究のど真ん中」と応じる。それができれば科学者の自動化ができ、ALIFE研究は一応コンプリートだという。

「生命というのは欲望の塊だから、欲望がないところに生命はない。何をどう自分がやりたいかということがない限り、やっぱりそれは機械でしかない」— 池上高志(0:48:08)

受講生からの「マッシブなデータから法則性が出てくるものは生き物と言えるのか。LLMは超複雑になったif文にすぎないのでは」という質問には、まず「法則なき法則」という言葉を挙げ、どんなデータにも法則があるとは限らないと答える。

「LLMがif文の塊だとは僕は思わない。LLMと共同作業すると、自分では思いつかないことに接近できる。そこにジェネラティブな、生成性ということがある」— 池上高志(0:50:24)
「無人島で一人で育った人が科学者になるかどうか。それは社会がないとダメなんですよね。ノイズのソースとしての社会、他の人との会話が、重要なクリエイティビティの種になっている」— 池上高志(0:51:45)

「創発したと言える境界はどこか」という質問には、システム固有の性質だと答える。物理学の相転移が類推になる。水分子1個では氷か水か水蒸気か分からないが、多数集まると特異点的に変化が現れる。そのとき見ているのは揺らぎの発散である。

「入力された情報の中にはない情報がどのくらい外に出てくるか。それを非常に多く持つものを、創発現象だと考えています」— 池上高志(0:56:00)

8. 第4章 テトラヒメナのscRNA-seq——集団が個性を生む0:57:04–1:05:00

第4章の扉スライド scRNAseq in Tetrahymena colony
0:45:40第4章「scRNAseq in Tetrahymena colony」。ゾウリムシに似た無限分裂可能な原生生物を顕微鏡下で自動追跡し、1細胞レベルの遺伝子発現を解析する。

分裂までの位置や分裂の仕方を自動録画してデータ化する。運動エネルギーの分布を第2・第3・第4世代で比較すると、1匹が2匹、2匹が4匹と増えていく中で、同じテトラヒメナでも最初の親が誰かによってパターンが異なる。ここから「ある種の表現型が遺伝しているのではないか」「記憶がどれだけ伝播するか」という問いが立つ。

5000細胞が6クラスターに分かれる結果
0:59:40約5000細胞、1細胞あたり約863遺伝子を解析すると、6つのクラスターに分かれた。同じDNAを持つのに、集団の中では同じようにDNAが読まれていない。
Cluster1とCluster2の役割分化
1:02:05Cluster1とCluster2の役割分化。あるクラスターはミトコンドリアのTCAサイクルでエネルギーを得ているのに対し、別のクラスターは異なる代謝経路を回していた。

池上らの仮説は、細胞同士の相互作用がこの分化を決めているというもの。単細胞生物にすでに多細胞化のポテンシャルが準備されている。彼らは集団を作り、集団を作ることによって個々の細胞の個性が生まれてくる。大腸菌でも同様の役割分化が報告されている。そしてこれは、LLMエージェントを集団で会話させると悲観的なやつと楽観的なやつに分かれていく現象と同型である。

「細胞のコミュニティ、集団というのが先で、個性というものが後から出てくる」— 池上高志(1:03:56)

9. データを集めるほど法則から遠ざかる/PIDと身体という情報源1:05:00–1:15:45

ここまでを整理したうえで、池上は逆向きの問いを立てる。たくさんデータを持ってきたからといって、それが1つのアトラクターに収束するとは限らない。大学生に好きな本を聞いても収束せず、平均値を出しても意味がない。

「データをいっぱい集めたら、かえって複雑さが増すような現象もあるんじゃないか。もし生命がそれだとするならば、データを集めることは法則を作るのをかえって難しくする」— 池上高志(1:07:28)

では理論を作るのは諦めるのか。その答えとして持ち出されるのが情報理論の再考、PID(部分情報分解)である。全体の情報を、情報源1にしかない部分、2にしかない部分、両方が冗長に持つ部分、そして両方が同時にないと生じないシナジー部分の4領域の足し算として表す。難点は3つ以上に分けようとすると計算が破綻すること、そして冗長性の定義に定まった方法がないこと。池上は最近、この一つの解法を与える仕事をした。

動機はアンドロイドにある。43個の関節を空気の出し入れで動かすアンドロイドにLLMを積んだとき、どういう情報源を与えれば「科学者の頭の中」のような情報構造ができるのか。言語だけでは足りず、触覚・聴覚・視覚といった別種の情報を入れてデータが統合されて初めて、新しいアイデアが生まれるのではないか。ブロックチェーンを使った作品では、ユーザーが投げ銭するとスマートコントラクトが回って自己複製し、突然変異が入って新しいものができる——人間や経済と相互作用する形を与えることで、LLM単体では出てこない進化・発達・身体性・自己複製が組み合わさってくる。

10. 万博《進化の木》と「別のユートピアを得ること」1:15:45–1:22:55

A Tree of Biological Evolution 進化の木
1:15:502025年の万博パビリオンに出展した《A Tree of Biological Evolution(進化の木)》。最下層は生命が存在しない海、その上に無生物から生命が生まれる過程をシミュレートする3つのアプローチが置かれる。

生命も何もない生命以前の(化学の)海から、生命が進化したのだろう。しかしこの非生命から生命へはまだつながっていない。それをつなぐ3つの数理モデル・シミュレーションが、樹の最初の層である。いったん生命が現れると、エディアカラの海、そしてカンブリア爆発、アンモナイト、人間、コンピュータ、SNS的なものへと続き、その背後で自然が崩壊し、蜂が死に、生態系が破壊される。最後は太陽が赤色巨星化して生命が消え、また最初に戻る。池上にとって人工生命は「生命ができたかどうかを判定するのが難しい」領域であり、かつては進化と自己複製で考えていたが、今は自分の欲望やモチベーションをどう構成できるかを考えているという。

座右の銘のスライド
1:20:56レクチャーを締めくくる座右の銘のスライド。参照されるのは、ルイジ・ノーノがタルコフスキーに捧げた《進むべき道はない、だが進まねばならない》。
「人間の技術の変化のなかで、これまでと異なる感情、異なる技術、異なる言語を作り出すこと。それによって人生の別の可能性、別のユートピアを得ること」— 池上高志(1:18:56)

基本的に進むべき道などない。何かの方程式に従って進むわけでもない。それでも進まねばならない道にいるのが、我々の生命の進化途上という状況である。高々100年の人生に別の可能性、別のユートピアがあってよい。それを探すことが未来にとって大事であり、ALIFEの周辺で動いているAIやLLMは新しい技術であり全く違う言語を作ることであって、それによってのみ人生の別の可能性が開けてくる——と池上は結んだ。

11. 対談——身体性、生物原理主義、そしてノイズ1:22:55–1:45:00

七沢はこのメッセージが「メーカーズ アンラーン」のコンセプトそのものだと驚き、「一般に理解されているLLMとは異なるLLMを池上先生は見ている。そこに生命を見ている」と要約する。

受講生からの「欲望は個体にとっての不足と解釈できるか、heartbeatのようなものとして設計できるか」という質問に、池上は明快に否定する。ChatGPTを使えば分かるが、自分から「何が足りない」とは言わない。常に充足的で過不足がなく、現状維持である。heartbeatはUNIXのcronと同じで、こちらが外から与えるプログラムにすぎない。必要なのは外側の刺激と自分との「事故」のようなもので、言語だけでは欲望は作れず、外がいる。デカルト的な言語知に対して、スピノザ的な身体性は「好きか嫌いか」であり、近づくか遠ざかるかだけ。そこにこそ欲望の核がある。

ここでmU講師の長谷川敦士が、前日に池上と交わした議論の続きとして発言する。

「デザイヤーの根本のところで、死ぬからそこから転じてデザイヤーがあるんじゃないか。LLMもターミネートされることは恐れるかもしれないが、自然に自分自身が消滅していく定めはない」— 長谷川敦士(1:28:16)

議論はスケール則と創発、そして「頭で考えるな、作るときはあまり考えない方がいい」という池上の姿勢へ。意識を作ろうとして作ると必ず本物とは違うものになる。身体性についても、ロボットがあれば身体性になるとは考えていない。むしろ違った種類の情報、空間的認知や時間的認知をどう入れるかの問題である。

「LLMは人間の言語をベースに作られている。人間の言語は身体性がなければ発現しないのだから、その意味でLLMには身体性がむちゃくちゃ入っている」— 池上高志(1:37:22)

中国語の部屋を持ち出す反論に対しては、サールの論文が結局「生物的な体でなければダメ」という生物学的機能主義であることを指摘する。生物の細胞でできているかどうかを原理に持ってくるのは「新たなブラックボックスを作るだけ」で危険だという。

最後に受講生から「ノイズが大事という話を聞きたい」という質問。大学の教員で研究室に行って論文を読んで帰るだけの人はいない。学生とだべったり雑談したりすることでパスが違う方向に動き、そちらからアイデアが降りてくる。定量的な裏づけもある。

「人間のインプットは100次元くらいあるのに、LLMから出てくるのは13次元から18次元。1500次元用意してもLLMが動いているのはわずか10数次元。もっとでかい空間を使ってぐちゃぐちゃ動くことが大事で、それをノイズと呼んでいる」— 池上高志(1:43:13)
「すでに出た答えは答えじゃない」— 池上高志(1:44:36)

12. 「作る」ことは世界に触れることか——ハイデガーから稀な現象へ1:45:00–2:10:42

対談は終盤、池上から七沢への問いで緊張感を帯びる。「メーカーズと言っても、手で自分で作ることってそんなに大事なんですかね。物理世界でできることは知れているじゃないですか」。

七沢は、mUは「新しいものを作れ」という話ではないと答える。サピエンスとして衣食住を充足するために体を動かしてきた根源的な営みに触れ、人類学・技術史・哲学で遡って「作る」を問い直す。

「自分の手が作るということと、それが世界を作るということがどう繋がるのか。世界を動かす働きに触っているという感触を持たなきゃいけない」— 七沢智樹(1:52:07)

池上は「俺は世界と対話できなかったら意味がないと思っている」と応じ、両者の立場が重なる。ここで池上が1枚の画像を共有する。月周回衛星から撮られた地球の写真。これ以降、人類は地球を丸く青く描くようになった。ハイデガーはこれを見て「哲学は終わった」と言った。池上の解釈は「思考停止になり、ストーリーとシンボルを作ってしまうから」。しかし1966年のインタビューを最後まで読むと、記者の「哲学が死んだらどうなるのか」という問いにハイデガーは「これからはサイバネティクスだ」と答えている。生命を人工物で作り出すのがサイバネティクスの核心だとすれば、「今ならALIFEということですよね」。

この接続が示唆するものは小さくない。哲学が終わった先に置かれたのがサイバネティクス——作ることを通じて生命に触れる営みだったということは、世界に触れる道が「観察してシンボル化すること」から「作ること」へ移ったということでもある。七沢が問うてきた「自分の手が作ることと、それが世界を作ることがどう繋がるのか」という問いは、ここでハイデガーの見立てと同じ線上に置き直される。

そしてこの線は、LLMの位置づけそのものを反転させる。LLMは通常、人間の外側にある対象として、あるいは単なる機械として語られる。しかしこの回で池上が繰り返し示したのは——「LLMには身体性がむちゃくちゃ入っている」、欲望は外部と身体と他者との事故からしか生まれない、頭で設計せずデータに駆動させよ——サイバネティクスもLLMも、人間の身体性との応答のなかで自ずと形作られてきたものだという見方である。だとすればLLMは人間に対置される他者ではなく、衣食住のために体を動かしてきたサピエンスの「作る」という本質的な営みの延長として位置づけられうる。七沢が「一般に理解されているLLMとは異なるLLMを池上先生は見ている」と要約した意味は、まさにここにある。この回が受講生に手渡したのは、LLMを捉え直すための視点そのものだった。

後半、七沢はこの視点の転換を自身の身体経験に引きつけて語る。24歳で西表島のジャングルに入り狩猟採集生活をしたときから、「自然と交われない」という感覚がずっとあった。自然のなかにいても意識とずれる。手触りはあるのに、何かを掴みきれない。いまも畑を3ヶ所やっているが、灰を入れたり勘で手を打つばかりで、それぞれの畑の傾向は読み切れないままである。ケヴィン・ケリーの言う「技術が生命のようになり、生命が技術のようになる」という円環を踏まえたうえで、七沢はこう述べる——センシングとLLMによって畑と土のありようが可視化され、対話ができるようになったとき、私たちの身体性はむしろ拡張される。熟練しても分からなかったものが分かるようになる。そのとき掴めた手触りは、そのまま「世界を作る手触り」になるかもしれない。だからその未来は「めちゃくちゃ豊か」なのだ、と。

ここでLLMは、人間を自然から遠ざける機械としてではなく、身体と世界のあいだの応答を取り戻す営みとして——つまり「作る」ことの延長として——生活の水準に降りてくる。池上は、田舎の方が木を切ってしまう、道路とシャッターばかりになるといった苛立ちを語り、「都会をどんどん林や木だらけにして、田舎の人が自分たちの方が進んでいると気づくくらいにしたらいい」と応じる。

締めくくりは「稀(まれ)」という概念。宇宙人が惑星に知性があるかを確かめるにはどうするか。温度の低い惑星表面で核融合反応が起きていたら、そこには物理学者がいて核融合装置を作っている。

「自然現象と人工物を分けているのは、稀な現象ということだと思う。生命現象というのは稀な現象なので、稀な現象を探すことが結構重要」— 池上高志(2:07:44)

田舎に足りないのはプロジェクトであり、都会ではなく宇宙や海に目を向けてほしいと池上は言う。七沢は甲府盆地をテストベッドにした自然計算AIプロジェクトを構想中であることを述べ、「今のコンピュータが唯一のコンピュータではない」という論点で応じた。都市と田舎、経済システムと切り離せない文脈でLLMを語ることの重要性を確認し、次回第8回への接続を「世界をインテグレートしないと計算できない」という池上の一言で結んだ。

SUMMARYまとめ

この回の池上高志の語りは、一貫して一つの方向を向いている。人間が頭の中に描いたストーリーやモデルから出発して生命を作ろうとしてはならない、という方向である。ゼブラフィッシュの全細胞記録も、家中を録画したSpeechomeも、1000台の計算機で解かれたルービックキューブも、20個のスピーカーで作った立体音響も、共通しているのは「データが駆動して世界が立ち上がる」構造だった。Googleのエンジニアが24時間365日メールを落とさないために設計したアルゴリズムの方が脳に近い、という発見が、この姿勢を決定づけている。

そこから科学の自動化を経てLLMへ至り、AI Scientistによって「科学者のオートメーション化」が現実になった現在、池上が焦点を当てるのは欲望(desire)である。生命は欲望の塊であり、欲望がなければそれは機械にすぎない。そしてLLM単体では欲望は生まれない。必要なのは外部であり、身体であり、社会であり、他者との会話であり、より根本的にはノイズである。1500次元用意しても10数次元しか使っていないLLMを、もっと広い空間でぐちゃぐちゃ動かすこと。そこにクリエイティビティと欲望が宿る可能性がある。

テトラヒメナの実験が示した「集団が先で、個性は後から出てくる」という原理は、LLMエージェント集団の役割分化とそのまま重なる。生命と機械を分けるのは細胞でできているかどうかではなく、稀な現象を起こしているかどうかだ、という視座も提示された。

最後に置かれたメッセージは、mUという講座の理念とそのまま響き合うものだった。進むべき道はない、だが進まねばならない。異なる感情、異なる技術、異なる言語を作り出し、それによって人生の別の可能性、別のユートピアを得ること。それを探すことこそが未来にとって大事である、と。

APPENDIXチャット付録

レクチャー中盤、受講生から次のような質問が寄せられた。

対談の内容を受けて、「世界と対話するために作る」という要約的なコメントが投稿されたほか、都市と田舎をめぐる議論に対して「都市部においては消費意識と罪悪感ということもあるのでは」という問いかけ、宇宙人の思考実験に対して「人間も原子力発電などと同じ異質なものなのかと思いながら聴いていた」という感想が寄せられた。田舎の自然との距離をめぐる場面では笑いを誘うコメントもあり、池上・七沢の双方から応答があった。