ANTHROPOLOGY OF TECHNOLOGY

技術の人類学 第1回
オリエンテーション──この講座の「問い」を立ち上げる

まとめレポート(講義動画 1時間47分32秒より作成)

講座
makers Unlearn 2026(mU)
登壇
原島大輔(講座企画)・七沢智樹(mU企画統括/山梨県立大学 特任教授)
開催日
2026年10月22日(木)

OVERVIEW概要

全8回の「技術の人類学」の初回。七沢がmU全体の地図(4つのステップ)の中にこの科目を位置づけたあと、講座を企画した原島大輔が、講座全体の問いを立ち上げるオリエンテーションを行った。目標は「現代文明の人間観・技術観をアンラーンする」こと。その背景には、環境危機と人道危機が複雑に絡み合った惑星的危機がある。

原島はまず、自ら書いた講座の概要文──「人間の本質を、技術を通じて考える」──を受講生と一緒に読み、そのうえで、この講座がなぜ「人類学」を名乗るのかを、西洋思想の二つの大転換から説明した。20世紀の言語学的転回では、知の根拠が「神」から「意識(デカルトのコギト)」へ、さらに「言語」へと移り、ソシュールの構造主義言語学とレヴィ=ストロースの構造主義人類学が西洋中心主義から文化相対主義への転換をもたらした。だがその相対主義には限界があり、人間の言語・文化だけを見る人間中心主義も問われている。そこで21世紀の情報学的転回。あらゆるものを情報処理(計算)に還元する「偽の」転回ではなく、身体的な生命活動を通じてはじめて意味=価値が立ち現れるという「生命情報」を基点に世界を捉え直す「真の」転回(西垣通の基礎情報学)こそが、人間を生き物として捉え直し、惑星規模の普遍的な価値軸を探る手がかりになる。

最後に原島は、この相対性の考え方を文化だけでなく技術に持ち込む。技術は人類に普遍的か、文化ごとの宇宙論(コスモロジー)に根ざすものか──ユク・ホイの宇宙技芸(コスモテクニクス)と技術多様性の議論を紹介し、テクノロジーを表面的に取り入れてきた日本の近代化(和魂洋才)を問い直して、講義を締めくくった。当日は原島の屋外からの接続で音声が聞き取りにくく、アーカイブ動画には原島の発話部分に字幕を付けている。

タイムスタンプは講義アーカイブ動画の再生位置です。スクリーンショットは講義スライドの引用(©原島大輔)。原島の発言は自動文字起こしをもとに要約しており、細部の表現は講師の確認により修正される場合があります。受講生の氏名・発言は特定できない形に編集しています。

CONTENTS講義の内容

1. 開講──mUの4ステップと「技術の人類学」0:00–4:45

七沢は、この科目だけを履修している受講生に向けてmU(makers Unlearn)を紹介する。mUは、山梨県立大学が1年半後の開設をめざすメイカーズ工学科──AI時代のものづくりを研究し教える分離融合の学科──の社会人向け先行プログラムで、今年はトライアルとして12科目(うちオンライン講義8科目)を開いている。プログラムは4つのステップで「つくる」を問い直す。ステップ1「テクノロジーの未来学」で、つくる技術の未来を見通す。ステップ2で、そもそもつくる技術とは何だったのかを過去に遡って捉え直す──技術哲学、技術史(チンパンジーから縄文、鉄、民族学、メソポタミア考古学まで)、そしてその3つ目がこの技術の人類学である。ステップ3ではデザイン論概論とAI時代のエンジニアリング概論で「つくる」と技術を再定義し、ステップ4で社会実装に向かう。

現代文明はテクノロジーを発展させる中で、環境危機や人道危機、惑星的危機に直面している。進歩を前提にしてきた近代社会にとって、そもそも進歩とは何だったのか、技術とは、つくるとは、人間とは何か──それを掘り下げるのがこの科目であり、企画は原島大輔。登壇は西垣通、下西風澄、柳澤田実、ふくだぺろ、石倉敏明、中村桂子の6人で、原島が全体の進行を担い、七沢はサブで入る。

2. 原島の挨拶──青空からの接続4:45–6:03

非常勤先の大学の授業を終えたその足で、原島は屋外から接続した。「青空授業です。makers Unlearnらしく、お外でやりましょう」。これから8回、人間とは何か、技術とはどういうことかを一緒に考えていきたい、と挨拶し、初回は講座の目的・背景・めざすところを共有して、毎回のゲスト講師の議論を受け取る準備をする回だと説明した。

3. シラバス確認──目標・背景・学べること6:03–15:28

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6:31シラバス確認。目標=現代文明の人間観・技術観をunlearnする/背景=現代技術文明の惑星危機(環境・人道)、テクノロジーの発展──進歩? つくる? 人間? 技術?/学べること6項目。

講座の一番の目標は、現代文明の人間観・技術観をアンラーンすること。アンラーンとは、これまで持っていた固定観念をいったん捨ててみて、あらためて学び直すためのステップである。

背景は、現代の技術文明が直面する惑星危機。一つは環境危機──気候崩壊と自然破壊である。テクノロジーは地球環境を資源として開発・収奪せずには発展できず、私たちは新たな大量絶滅の時代に入ったとも言われる。もう一つは人道危機──紛争、戦争、差別。両者は複雑に絡み合っている。テクノロジーの発展には素材としてもエネルギーとしても自然の資源が必要で、資源の奪い合いが起こる。気候崩壊や自然破壊で住める場所が減れば土地をめぐる争いになり、人々は移動せざるを得ず、難民・移民がこの文明の構造的な理由によって生じる。受け入れる側との摩擦から排外主義が高まり、新たな紛争も起こる。こうした状況で、テクノロジーの発展をそのまま「進歩」と捉えることはもはやできない。

しかも近代以降の文明は植民地主義や人種主義を重ねてきたため、「人類はひとつになって協力しよう」とは簡単に言えない。それでも惑星危機は、世界が協力しなければ立ち向かえない。人と人、さらに人以外の生き物も含めた新たな共同体をどうすれば作れるのか──これは実はテクノロジーの問題でもあり、何を「つくる」のかという想像力・創造性が最も問われる課題だ、と原島は言う。だからこそ、技術とは何か、人間とは何かを問い直す。

学べることとして、①技術を「生きるための知恵とワザ」として捉え直す視点、②人類史の深層から「つくる」の意味を考える力、③身体・自然・道具・共同体から技術を理解する視点、④現代文明の技術観をアンラーンするための手がかり、⑤惑星危機の時代に人間性を回復するための考え方、⑥自分の仕事や暮らしにある「つくる」を問い直す力、の6つが挙げられた。

4. 講座概要を一緒に読む──「つくる」とは、生きるということ15:28–21:48

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15:28講座の概要文。「人間の本質を、技術を通じて考える──これがこの講座のテーマです」から「人間性の回復をめざします」まで。

原島は、科目ページの末尾に載せた講座の概要文を「かなり力を入れて書いた」と言い、今日のオリエンテーションは、これをみんなでゆっくり読み、それぞれの解釈で意味を見出せれば十分だというくらいに考えている、と前置きして全文を読み上げた。

要旨はこうだ。世界を変えるには政治・経済・思想などさまざまな道があるが、この講座が注目するのは技術である。技術を変えることこそが世界を変えることになる。ただしそれは、テクノロジーの研究開発を推し進めて問題を解決するということではない。「技術といえばテクノロジーのことにほかならない」という固定観念を解きほぐし、根本的に異なる技術の可能性に視野を広げることで、私たちが「つくる」ことのできる未来のポテンシャルを、誰も想像できなかったほど豊かにしよう、ということだ。現代のテクノロジーは、文化を自然と対立させ、人間を他の生き物から区別して特別視する世界観の上に成り立ち、自然や人を便利な道具として利用してきた。だが人間は、テクノロジーで自然を支配する主体でも、テクノロジーに使われるただの道具でもない。人間を自然の生き物の一部として理解し直し、生きるということから技術を理解し直す──「つくる」とは、生きるということ。この講座は、生き物としての人間が生きるための知恵とワザという観点から技術を捉え直し、人間性の回復をめざす。

今日読んだときの理解が、全8回を終えて振り返ったときにどう実感されるか、ここに書いたことをそれぞれがどう一歩進め、乗り越え、実践していけるかを楽しみにしている、と原島は述べた。

5. 言語学的転回──知の根拠は「神」から「意識」へ、そして「言語」へ21:48–46:33

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21:48導入:言語学的転回と情報学的転回。言語学的転回──20世紀の知の大転換。意識分析から言語分析へ(神中心主義から人間中心主義へ/知の明証確実な基礎としての主観的意識:デカルト)、言語を基点とした世界の捉え直し(精神分析:フロイト、ラカン)。

なぜ「人類学」なのか。講師には人類学者も多いが、そうでない人もいる。人類学を広く「人間の学」として捉えるという意味もあるが、もう一つ、敬意をこめてこのタイトルを掲げた理由がある。それを説明するために、原島は言語学的転回(20世紀の知の大転換)と情報学的転回(21世紀の知の大転換。約20年前に西垣通が提唱)という二つの概念を導入する。

言語学的転回とは、西洋思想の伝統の中で、あらゆる知の根拠・基盤が20世紀半ばに「意識」から「言語」へ変わったことをいう。ではその前の「意識」とは何か。もう一段遡ると、前近代の知の根拠は神だった。神の言葉を記した聖書に書いてあることが正しさの基準であり、多くの人は教会が解釈した内容を受け取っていた。初期近代になると、活版印刷によって大衆が自分で聖書を読めるようになり、自分で確かめることの大切さが芽生える。同時に近代科学が生まれ、人間が自然に手を加えて実験し、経験的に得る知が力を持ち始める。知の基盤がガラガラと変わる、AIの時代のいまをはるかにしのぐほどの地殻変動だった。

そこで新しい知の根拠を求めたのがデカルトである。不確かな土台の上に知を積み上げても崩れてしまう。だから疑わしいものはすべて疑い、それでも残るものを根拠にしよう。五感で知覚したものは見間違い・聞き間違いがあるので疑わしい。数学も、全知全能の神が人間を欺いて間違った法則を植え付けているかもしれないと疑える。客観的な現実の実在さえ、生まれてこのかた長い夢を見ているだけかもしれない。だが、そうして疑っている自分の存在だけは疑えない──「我思う、ゆえに我あり」。思考する人間の主観的意識こそが、明証確実な知の基盤として登場する。

この考え方は今日まで強い影響を持っている、と原島は言う。授業はしらふで聞くべきで、酔っ払って変性意識状態で聞くのはどこか不真面目だ、と感じるとしたら、それは近代的な知のパラダイムの中にいる証拠だ。逆に、意識のない状態や神がかりで語られる啓示や予言こそが真理だ、という考え方は、まったく別のパラダイムである。

19世紀末から20世紀にかけて、その意識や理性が疑わしくなる。精神分析は、意識の奥底で、意識が知ることのできない無意識──抑圧された欲望や身体の働き──が理性的な思考を規定していると考えた。時代は「精神の危機」でもあった。理性の光で暗闇を照らす啓蒙主義(エンライトメント)は、裏を返せばアジアやアフリカへの植民地主義・人種主義であり、理性が積み上げた科学技術は二度の世界大戦、原子爆弾、ジェノサイドというまったく非理性的な破壊をもたらした。人間の主観的意識に根拠を置けば進歩していく、という信念はもう通用しない。そして、その無意識は言語的に構造化されている(ラカン)──頭の中で考えたことを言語で表現しているのではなく、実は言語が思考していて、人間はそれを表現する乗り物のようなものではないか。これが言語学的転回である。

6. 構造主義と文化相対主義──人類学の革命46:33–57:05

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46:33言語学的転回の方向性(1)論理実証主義・分析哲学/方向性(2)構造主義・ポスト構造主義・記号論(ソシュール、レヴィ=ストロース)。言語学的転回の難問──人間中心主義批判、普遍的価値基軸の喪失:相対主義の限界。

言語学的転回には二つの方向がある。一つは論理実証主義・分析哲学──知の根底にある言語を論理的・統計的に分析していく方向。もう一つが構造主義・ポスト構造主義・記号論で、ここでようやく人類学が登場する。

ソシュールの構造主義言語学が革命的だったのは、それまでの「唯一の客観的世界を、各言語がそれぞれの仕方で表現している」という言語観をひっくり返したことだ。その古い言語観では、どの言語が世界を最もよく記述できるかという進歩主義的な序列が生まれる──主語を省き曖昧さを好む日本語は、近代的な道具としてはヨーロッパ言語に劣る、というように。ソシュールは逆に、ある言語共同体の人々は、その言語によって作られた世界の中にそもそも生きていると考えた。唯一の客観的世界は想定できなくなり、言語共同体ごとに世界は相対的になる。

これを応用したのがフランスの人類学者レヴィ=ストロースの構造主義人類学(1960年代)である。アジアやアフリカを含む世界中の文化は、西洋文化に劣っているのではなく、それぞれの構造でそれぞれの世界を作り、世界とうまくやっている。進歩という時間の考え方を持つ文化もあれば、まったく違う世界観の文化もある。歴史的発展という発想も、それを担う人間主体という考え方も、ヨーロッパ特有の世界観にすぎない。こうして西洋中心主義から文化相対主義への転換が、西洋思想の内側から自己批判的に起こった。原島は、20世紀の学問の成果の中でこれが一番重要だったと言ってもいい、これがなかったら今の世界はどうなっていたかわからない、と強調する。

しかし、それから50年以上がたった今、相対主義の限界に直面している。あらゆる価値観が相対的になれば、対立は避けがたい。惑星規模の問題に直面する今、新たな意味の共同体や、普遍的に共有可能な価値観をどう打ち出せるのか。さらに、言語学的転回は人間の意識の中心性を批判したが、その中心に据えたのは結局人間の言語・人間の文化だった。人間以外のものにまで視野を広げなければ立ち行かない問題がある以上、人間中心主義批判が21世紀に求められている。

7. 情報学的転回──「偽の」転回と「真の」転回57:05–1:19:28

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57:05情報学的転回──21世紀の知の大転換。言語は情報の一種である。方向性(1)偽の情報学的転回:言語は情報処理の一種(大規模言語モデル、ChatGPT)、世界を情報処理として捉える=この世界は情報処理マシンにほかならない。

情報学的転回とは、言語を起点とした世界の捉え直しから、情報を起点とした世界の捉え直しへの転換である。「あらゆる学問の根底は言語だ」と言われるより、「あらゆる知は根本的には情報の学問だ」と言われるほうが、今の私たちには直感的にピンとくるのではないか。言語は情報の一種であり、意識の根底に言語があるように、言語の根底に情報という水準がある。大規模言語モデル以降のAIを使っている私たちには分かりやすい──情報処理しかしていないマシンが十分に言語を扱っている以上、言語とは情報処理ではないか、というわけだ。

だが原島は、万事を情報処理(=計算)に置き換え、「この世界は情報処理マシンにほかならない」と考えるのは偽の情報学的転回だと言う。このコンピューティング・パラダイムには大きな問題がある。意味が理解できないのだ。情報処理は意味を持たない形式的な記号の処理であり、AI研究は1950年代の初期から、フレーム問題や記号接地問題として、この限界を分かっていた。

ここで言う意味とは、辞書的な定義ではない。辞書的な意味ならAIは人間より得意だ。だが辞書が実際にしているのは、「リンゴ」という文字記号を「果物で、甘くて、ジューシーで…」という別の文字記号に置き換えることにすぎない。いまスライドに書いてある「マシン」という語の意味は、ディスプレイの中のどこにあるのか。問題は、「これは私にとってものすごく意味があることなんです」と言うときのような、価値のニュアンスを伴う意味である。情報学が真に基礎的な学問になるには、この意味の問題に正面から立ち向かわなければならない(サイバネティック・パラダイム)。

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1:00:33情報学的転回の方向性(2)真の情報学的転回──基礎情報学:西垣。生命情報(身体的生命活動を通じてはじめて意味・価値が立ち現れる──知の身体化、エナクティヴィズム:ヴァレラ)、社会情報、機械情報。生命情報⊃社会情報⊃機械情報。

そこで真の情報学的転回。西垣通の基礎情報学では、情報とは原基的には生物にとっての意味、すなわち価値をもたらす働きであり(生命情報)、それは身体的な生命活動を通じてはじめて立ち現れる。

例えば椅子。AIは椅子の気の利いた定義を返してくれるが、椅子に座ったことはない。私たちは椅子の定義と照らし合わせて確認してから座るわけではなく、座れそうなものがあれば勝手に座る。それは、人間がこのくらいの大きさの体を持ち、重力の中で膝や腰が疲れる、という身体でこの世界を生きているからで、そういうものを後から「椅子」と名付けている。アリにとっては、私たちの椅子は座るものとして立ち現れない。リンゴも、空腹のときに食べて「生き返る」と感じた経験、リンゴにまつわる神話や歌への感動──そうした実体験とともに生きる人にとって特別な意味を持つ。食べたことのないAIが「甘くておいしい」と言うのとは違う。意味や価値は、生物がその身体を持って生きる、その生命活動の結果として立ち現れる。生物学ではユクスキュルの環世界、哲学ではメルロ=ポンティの現象学、認知科学ではヴァレラのエナクティヴィズム(知の身体化)がこの立場にあり、これを情報学の基礎に据えたのが西垣である。

情報(in-formation)とは、外から与えられるものではなく、生きる中で内発的に世界を形づくる働きである。言語は、この生命情報を共同体に通用する主観的な表現に転化したもの(社会情報、記号と意味内容のセット)であり、そこから意味内容を抜き取って記号だけを抽象化したものが、情報処理パラダイムが扱う意味のない形式的記号(機械情報)である。生命情報⊃社会情報⊃機械情報。狭い意味での情報処理の情報学、言語も含めた社会情報学、さらにその根底を生命の立場から考える生命情報学──生命情報を基点に世界を捉え直すことが、真の情報学的転回だ。

8. 情報学的転回の課題──人間を生き物として捉え直す1:19:28–1:23:42

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1:19:28情報学的転回の課題──人間中心主義の超克(人間を生物として捉え直す:人間例外主義の乗り越え)、普遍的価値基軸の提出──惑星的普遍倫理:生命。

情報学的転回は、言語学的転回が残した宿題に応えるものだ。人間の意識や言語を、より根底的な生命から捉え直すとき、人間はより広い生物の中に置き直される──人間中心主義の超克、人間例外主義の乗り越えである。原島は、この課題に正面から取り組んできた人として、第7回に登壇する中村桂子の生命誌を挙げ、とても楽しみだと語った。もう一つの課題は普遍的な価値基軸の提出。文化相対主義は私たちを西洋中心主義から解放してくれた重要な知だったが、分断や戦争、差別が激しくなる中で、惑星的な共同体は本当に可能なのか。そのとき生命という観点から、新たな価値基軸──惑星的な普遍倫理──を打ち出せないか。これがmU全体、そしてこの講座の問いにつながっている。

そして、この問いにたどり着くうえで人類学がいかに重要な役割を果たしたかは、いくら強調してもしきれない、と原島は言う。構造主義人類学は、唯一の客観的世界を前提にしないほうが世界の実情に経験的に取り組める、という「世界の相対性」を開いた。それは人間の文化から、生物種、一つひとつの命へと広げても実感される──それぞれの身体的な生命活動が、それぞれの世界を作っているのだから。これが、講座が「人類学」を名乗る理由である。

9. 技術多様性──宇宙技芸(コスモテクニクス)と和魂洋才1:23:42–1:33:31

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1:23:42導入:技術多様性。テクノロジーの二律背反(技術は人類に普遍的である/普遍的ではない=宇宙技芸cosmotechnics)、宇宙技芸(ユク・ホイ『中国における技術への問い』『芸術と宇宙技芸』)、技術多様性(ハイデガー:テクノロジー──総かり立て体制/テクネー──伝統回帰・民族主義:西洋中心主義/技術多様性による総かり立て体制の超克:ホイ)。

オリエンテーションの最後に、原島は相対性の考え方を文化だけでなく技術に持ち込んだらどうなるかを論じる。世界中にさまざまな技術があったのに、私たちはそれを「テクノロジーの発展」という一本の歴史軸の上に、進んだもの・遅れたものとして一列に並べていないか。

哲学者ユク・ホイは、テクノロジーの二律背反を指摘する。一方の立場では、技術は人類に普遍的で、基本的に身体機能を拡張し記憶を外在化するもの。文化ごとの違いは置かれた状況に応じた拡張・外在化の仕方の違いにすぎず、その最も発達したものが現代のテクノロジーだ。スマートフォンを日本向けにカスタマイズする、というような理解である。もう一方の立場では、技術は人類に普遍的ではない。文化ごとの技術は、各文化の根本的な宇宙論(コスモロジー)に規定され、その中でのみ成立している。同じ技術が文化ごとにローカライズされているのではなく、「技術」が意味するものそのものが文化ごとに違う。これが宇宙技芸(コスモテクニクス)であり、テクノロジーとは、少なくとも2500年にわたるヨーロッパの歴史が生んだ、ヨーロッパ文化に特有の技術なのではないか。

私たちは一つの現代文明に生きていると言うが、それはテクノロジーを使っているという点だけで、根本的なコスモロジーや価値観はばらばらだ。グローバルにテクノロジーを使っていることで、なし崩し的に成立している惑星文明にすぎない。本当の意味で惑星規模の課題にみんなで取り組むなら、精神的な意味でもつながる必要があり、そのためには技術多様性を深い意味で体得しなければならない。それは、ヨーロッパ的でない技術もあるはずだということであり、同時に、テクノロジーを生んだ人々の歴史的・精神的な重みへのリスペクトを本当に持っているか、ということでもある。

日本の近代化における和魂洋才──精神は日本的なもの、実利の部分は西洋のもの──は一つの対応だったが、この150年で十分に省みられてこなかったのは、テクノロジーが、それを生んだ西洋のコスモロジーや精神性と不可分だということだ。テクノロジーを取り入れれば精神性も西洋化していく。だがそれは西洋の精神性と実存的に向き合った結果ではないので、深い意味での精神的な交流や対決は起きていない。それなしに東洋と西洋の統合などありえず、まして世界中の国や地域が協力するために必要な精神的な向き合い方も生まれにくい。だからこそ、技術をそれぞれの文化に固有の多様なものとして捉えることが重要になる。これが技術多様性の意義である。

10. 講師紹介と、この講座のパースペクティブ1:33:31–1:35:45

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1:33:31講師紹介。1 オリエンテーション(原島大輔/七沢智樹)2 一万年前からAIを眺める(西垣通)3 意識はまだ人間の中心なのか?──AI・主体性・他者(下西風澄)4 AIと神(柳澤田実)5 感情=身体の技術──家畜化と自由の向こうへ(ふくだぺろ)6 共異体の人類学(石倉敏明)7 人間は機械ではない──生命誌が考えるこれから(中村桂子)8 総括・ディスカッション(原島大輔/七沢智樹)。

こうした問題背景から、この講座を組み立てた。受講生も講師も、それぞれの理解の仕方・モチベーション・問題意識で取り組むはずで、これはあくまで一つの視点にすぎない。講師の紹介や各回の内容はウェブサイトに載っているので読み上げないが、この問題から考えたとき、まさに今いっしょに考えるべき人々をお呼びできたと自負している。全8回、皆さんと一緒にこの講座を作っていきたい──そう言って、原島はマイクを七沢に戻した。

11. 七沢のコメントと、近代を越えるという問い1:35:45–1:43:03

七沢は、声が聞き取りにくかったかもしれないが、今日の内容は非常に重要だった、と引き取る。言語学的転回から情報学的転回へ、ポスト構造主義から技術多様性へ、そして生命論──このコンテクストを、今の段階で理解しておいてほしい。聞き取れなかった部分はAIまとめ(このレポート)と原島の確認で補い、来週月曜日の西垣の講義までに追いつこう。七沢自身は原島と「共に思考している仲間」で、より技術の側から考えており、いま書いている本を技術論的転回として、この文脈の中に位置づけたいと考えながら聞いていた、と述べ、受講生同士が感想と受講の動機を共有するブレイクアウトに移った(ブレイクアウトの時間はアーカイブから省いている)。

全体に戻ると、七沢は、これは近代批判として古くから言われてきた話でもあると補う。日本に哲学が入ってきた西田幾多郎の時代から、近代をどう乗り越えるかはずっと問われてきた。ヨーロッパの価値観が世界を覆うグローバリゼーションの果てに、いまや何十億人が同じようにスマホをフリックし、子どもがYouTubeを見すぎるのを叱っている。そこにAIが現れ、サイバー攻撃が起き、戦争は終わらない。ブレイクアウトでも「話は分かるけれど、どうしたらいいのか分からない」という声があったが、すぐに答えが出る問いではない。メイカーズ工学科も、mUも、原島も今回の講師陣も、この問いに向き合い続けている。

締めを求められた原島は、聞き取りにくかったことを詫びたうえで、次回以降の講師はそれぞれの立場から「よっぽどいい話をされる」ので今日は前座、皆さんそれぞれのモチベーションと問いを大事にしてほしい、と語った。この講座は、惑星的な状況にどう取り組むかという思いで作った。まったくどうしたらいいか分からない巨大な問いだからこそ、こうした講座に参加してくれる皆さんと一緒に取り組みたい。七沢も続ける。近代が目の前でガラガラと崩れ、地震も火山も気候変動も激しい。数万年、あるいは近代以降の比較的安定した時代が終わり、地球規模・人類レベルの変動のタイミングにある。この流れは止まらないからこそ、2026年の時点でこの問いを考えていたことは、きっと意味を持ってくる。ただ、若い世代はどんどん適応していくし、「子どもの頃からこの文明は崩壊するだろうと思っていたので、ようやく崩壊が見えてきた、さあこれから、という感じ」で、自分はまったく悲観的ではない、と。

12. 次回に向けて──1万年のスケールで考える1:43:03–1:47:32

次回(10月26日)は西垣通の「一万年前からAIを眺める」。予習には『新 基礎情報学』、最新刊でいえばAIと人類学をめぐる著作、文芸誌『群像』での平野啓一郎との対談などが紹介された。七沢は、日常的な思考と、1万年・5万年(認知革命以後)といった文明論的なスケールの思考はなかなか同時にできないので、思考を切り替えるトレーニングだと思って心の準備をして臨んでほしい、と話す。ブレイクアウトで「何の前提知識も先入観もなく今日の話を聞いた」という受講生がいたことに触れ、「素晴らしい。講師もそういう感じでいきたい」。プログラム履修生には修了に必要な感想の提出を呼びかけ、初回が終わった。

SUMMARYまとめ──初回で立ち上がった5つの問い

  1. テクノロジーの発展は、もう「進歩」とは呼べない環境危機(気候崩壊・自然破壊)と人道危機(紛争・戦争・差別)は、テクノロジー文明の構造的な理由によって絡み合っている。だからこそ、技術とは何か、人間とは何かを問い直す──現代文明の人間観・技術観をアンラーンする。
  2. 「つくる」とは、生きるということ技術=テクノロジーという固定観念を解きほぐし、人間を自然の生き物の一部として捉え直して、生きるための知恵とワザとして技術を理解し直す。そこから、まだ誰も想像していない「つくる」の可能性が開ける。
  3. 知の根拠は、神→意識→言語→情報へデカルトのコギトから、精神分析と構造主義の言語学的転回へ。ソシュールとレヴィ=ストロースは西洋中心主義から文化相対主義への転換をもたらしたが、相対主義の限界と人間中心主義という宿題を残した。
  4. 意味=価値は、身体的な生命活動から立ち現れる万事を情報処理に還元するのは偽の情報学的転回。椅子もリンゴも、身体を持って生きる者にとってはじめて意味を持つ。生命情報を基点に世界を捉え直すこと(西垣の基礎情報学)が、人間を生き物として捉え直し、生命という普遍的な価値基軸を探る道になる。
  5. 技術は一つではない──技術多様性技術は人類に普遍的か、各文化の宇宙論に根ざすのか。ユク・ホイの宇宙技芸(コスモテクニクス)は、テクノロジーをヨーロッパに特有の技術として相対化する。和魂洋才で表面的にテクノロジーを取り入れてきた近代を省み、技術をそれぞれの文化に固有の多様なものとして捉え直す。

APPENDIXチャット付録──受講生の声(匿名・要約)

当日のZoomチャットは書き込みが少なかったため、要旨のみ記す。

  1. 冒頭、七沢がmUの全体像を説明する際に、プログラム紹介ページへのリンクを共有した。
  2. 音声の都合で発言できないため途中退出する、と断りを入れた受講生がいた。
  3. 終了時、事務局から講義後の感想・質問フォームが案内され、受講生からは「ありがとうございました」の声が寄せられた。
  4. ブレイクアウト(アーカイブからは省略)では、受講の動機として「前の科目が面白かったので続けて受講した」「登壇者の著書を読んでいて楽しみにしていた」、感想として「話は分かるが、具体的にどうすればいいのかを考えていきたい」「AIが何でも書けてしまう時代に、人間が書くとは何かを考えたい」といった声が共有された。
本レポートは、講義アーカイブ動画の自動文字起こしとスクリーンショットから生成したまとめです。当日は講師の音声が聞き取りにくい箇所があり、発言の要旨は文字起こしとスライドに基づき編集しています。細部のニュアンスは実際の講義動画(字幕付き)をご確認ください。受講生の氏名・発言は匿名化しています。