OVERVIEW概要
第4講は「AIと社会Ⅰ」全4講の最終回であり、第1〜3講のインプットを各自の実感に引き戻す総合ディスカッションである。進行は七沢智樹と長谷川愛が務め、途中から原島大輔が別会場(立教大学)からオンライン参加した。通底する主題は「AIが提示する未来をそのまま受け取らず、相対化する」ことにある。
前半では長谷川が、パランティア的な監視・軍事システムの「破壊力」や、AIが量産する低品質コンテンツ(ブレインロット)への違和感を率直に語った。中盤では原島が、生き物と機械の根本的な違い、そしてAIを西洋・一神教のコスモロジーが生んだ「一つの技術の伝統」として相対化する視座を提示。七沢がWEIRDや「技術の根源にさかのぼる」というプログラム設計に接続した。後半は受講生を交えて実際のAI活用と違和感を共有し、七沢が「情報インプットの上でのアンラーン」を促してしめくくった。
CONTENT内容
0:00:00 – 0:18:12AIをめぐる違和感の共有と、あえて距離を置く姿勢
冒頭は最終回のディスカッション回として、七沢と長谷川がその日の講義を振り返る雑談から入る。長谷川は「最近AIで気になっているネタ」として、パランティアの解説動画に触れ、監視・標的選定といった「スマートシステム」の画面を見ているだけで大きな衝撃を受けると語った。
パランティアのようなスマートシステムの画面は本当に破壊力があって、見ているだけでメンタルが戦争になってしまう。長谷川愛
同時に長谷川は、変なコンテンツを共有すると受け手が「汚染・洗脳」されかねないとして、何を人に薦めてよいのかの線引きが難しく、いまや「AIコンテンツの善悪」どころか「すべてのコンテンツの善悪」が判断しづらくなっていると述べた。
変なコンテンツを投げると、みんなが汚染されて洗脳されていく。だから何を共有していいのか、その線引きが本当に難しい。長谷川愛
AIコンテンツの善悪どころか、もう全てのコンテンツの善悪が分からなくなってきている。長谷川愛
もう一つの話題は「AIドラマ/ブレインロット」で、SNS広告で流れてくる感情を煽るだけの低品質ドラマが大量に量産されており、「脳が腐ってくる」感覚があるという。長谷川は自らを「中毒になりながら批判する」タイプと自己分析し、中毒性を体感しないと戦えないと語った。
途中入室した原島は、同じ問いを向けられると即座にこう応じ、笑いを誘った。哲学者にはAIやSNSと距離を置く人が多いと紹介し、七沢も、哲学の先生方に講義のAIまとめを送ると「本当にAIがまとめたのか」と驚かれる、と応じた。
AIで気になることは何にもないですね。SNSも使わないですね。原島大輔
原島はこの日、立教大学現代心理学部映像身体学科20周年の記念講演会に登壇中で、慌ただしい合間の参加であることを説明した。区間末で七沢は1回目のブレイクアウト(感想シェア)を案内した。分科会では、その日の講義の感想と「AIを実際に使って感じた問題点・違和感」をシェアするテーマが与えられていた。
0:18:17 – 0:34:13生き物と機械の違い、AIを西洋の伝統として相対化する
分科会から戻り、原島が「AIと社会」の核心を語る。出発点は「生き物は機械ではない」という一点で、テクノロジーが高度化しても生命と機械の差異は消えず、直感的な感覚が時代遅れになったと思いがちだが「全然そうじゃない」と強調した。
どれだけテクノロジーが発展しても、生き物は機械じゃない。その違いをきちんと突き詰めるのが、文学や芸術や哲学の機能なんです。原島大輔
生きること・生命・人間性についての理解をアップデートし鍛え直すことこそ、AIを自分たちのものにできるかの鍵だと述べる。
生きるとか、生命とか、人間性とか。そういうことについての理解をアップデートし、作り直し、鍛え直す。それが一番大事なことだと思うんです。原島大輔
続けて原島は、AIによって新しい問題が生まれたのではなく、もともと人間社会に存在した問題がAIで顕在化しているだけだと整理する。AIは「元を正せば計算機」であり「計算こそが思考である」という発想が原点で、それはヨーロッパ・一神教(ユダヤ/キリスト/イスラム)のコスモロジーが生んだ文化的産物だとした。
AIは元を正せば計算機であって、計算こそが思考であるという発想が原点。それはヨーロッパ・一神教のコスモロジーが生んだ、一つの文化的産物なんです。原島大輔
とりわけ大規模言語モデルによる自然言語の扱いに「一番決定的」な衝撃を受けたとし、言葉の重要性を精神史的人間観に位置づけた。さらに「世界は計算でできている」という前提を共有していなければ、どれほど優秀な日本の科学者でも人工知能を自ら作るのは難しいと指摘。日本のものづくりが擦り合わせや誤差・揺らぎを許容するのに対し、ソフトウェアはノイズを許さないという対比を示した。
「世界は計算でできている」という前提を共有していなかったら、どれだけ優秀な日本の科学者でも、人工知能を自分で作るのは非常に難しい。原島大輔
結論として原島は、AIと社会を考えるならまず人間社会の問題に立ち返り、AIをそこに救いを求めて作られたものとして捉えるべきで、「置いてけぼりになって困る」という強迫的動機で臨むとスタート地点でずれてしまう、まずどんな世界を理想とするかのビジョンが必要だと締めた。
これを受けて七沢が、プログラムのステップ2「技術の根源にさかのぼる」に接続する。AIを古代メソポタミア発の西洋的伝統の「一つの技術の伝統に過ぎない」ものとして相対化し、「未来を相対化する」とは進歩史観・西洋近代思想の流れを対象化することだと説明した。さらにWEIRD(西洋化した現代人の心理の特異性)を紹介し、「標準」とされる西洋近代の心こそ特殊なのだという視点を共有した。
西洋化した現代人の心理は、歴史上のどんな社会の人々とも全く異なる奇妙なものだ、と当事者の白人研究者自身が書いている。「標準」とされてきたものこそ、実は特殊なんです。七沢智樹
原島は退出前に、8月開講の技術哲学・技術と人類学の講義で再登壇する旨を告げた。区間末で七沢は2回目のブレイクアウトを案内した。2回目の分科会では「自分がAIをどう使っているか」と「そこで感じた問題点・違和感・もやもや」をシェアするテーマが設定された。分科会では、AIが作る文章やデザインは分かりやすく整っている一方で、自分と世界の間にあったはずの差異や「データと意味の距離」が抑圧される感じがある、という声もあった。
0:34:18 – 1:06:14AIの実際の使い方と、機械/現実の境界のゆらぎ
最後の全体討論では、受講生を交えて最近のAI活用と気づきが共有された。抽象的な問いを噛み砕いて資料化する、難しいお題をまずAIに投げて設計に落とし込む、論文を平易な質問から段階的に理解する、といった「世界を理解するための道具」としての使い方が語られた。とりわけ、火起こしや落雷の仕組みなど「実世界の物理」への着眼をAIとの対話で得たという体験が共有され、七沢も「その使い方はいい」と共感した。
音声会話の進化も話題になり、こちらが話している最中にAIが能動的にカットインして訂正してくるようになった、という驚き(映画『Her』的な世界)が語られた。七沢はこれを、AIが受け身のラリー形式から能動的に介入する存在へと変わり、音声環境に遍在(アンビエント化)することで「どこまでが機械でどこまでが現実か分からなくなる」現象として面白がった。さらに、若年性認知症の当事者がマルチモーダルAIやカレンダー連携で「記憶を外部化」して生活する例から、インクルーシブデザインの観点で学べることは何か、という問いも共有された。
七沢はまとめとして、第4講のブレイクアウトで考えを整理することの意義を認めつつ、それ以上に第1〜3講の情報インプットが重要であり、AIの現在地をよく学んだ上でこそ本当のアンラーンがあると強調した。
AIが出てきて置いてけぼりになると困る——そんな強迫的なモチベーションで立ち向かうと、最初のスタート地点で完全にずれてしまう。原島大輔
七沢は、AIまとめとアーカイブ配信を活用して繰り返し学んでほしいと述べ、次回テクノロジー未来学の日程(曜日変更の注意喚起)を案内して全4講を締めくくった。
CONCLUSIONまとめ
第4講は、第1〜3講で得た知識を各自の実感に引き戻す総合ディスカッションだった。通底したのは「AIが提示する未来をそのまま受け取らず、相対化する」という主題である。長谷川は現場のAIコンテンツがもたらす違和感と善悪判断の困難を、原島は生き物と機械の根本的差異およびAIを西洋・一神教の文化的産物として捉え直す哲学的枠組みを、七沢はWEIRDや「技術の根源にさかのぼる」プログラム設計を通じて、それぞれ「未来の相対化」を具体化した。後半の全体討論では、AIを世界理解や実世界の物理を学ぶ道具として使う実践や、能動的に介入する音声AI・記憶の外部化といった機械と現実の境界のゆらぎが共有された。七沢は最後に、ブレイクアウトでの整理以上に情報インプットが前提であり、AIの現在地を学んだ上でこそ真のアンラーンが成り立つと述べ、全4講を結んだ。
CHATチャット付録
受講者チャットから主な論点を匿名で要約したものです。氏名・所属は伏せています。
- 「AIは使わない」と断言できる登壇者の姿勢への驚きと、面白がる反応があった。
- タイピングが面倒になり、音声文字起こし+AI整形で文章作成を代替しているという実践の共有があった(複数の音声入力ツールをめぐるやり取り)。
- AIが作る文章・デザインは分かりやすく格好よくなる一方、個性が弱まり、自分と世界の間の差異や「データと意味の距離」が抑圧される感覚があるという指摘があった。
- 人気キャラクター作品が最速級の興行収入を記録したという話題から、万人受けするビジュアルと神話的なカオスの共存が広く受け入れられている点への関心が示された。
- AIが生成し人間が介在すれば作品制作は問題なくなっていくのでは、というSF文学賞をめぐる議論が紹介された。
- 「私は背が高い」のような文法的に解釈しづらい表現が、AIによって排除され表現が均質化していくのではという懸念があった。
- 大喜利やお笑いネタのような表現はまだAIには難しく、フィジカルAIやフィジカル×同時性の領域が盛り上がっているという指摘があった(ロボットと漫才する事例への言及も)。
- 音声会話AIが会話に自然にカットインしてくるようになり、映画『Her』的な世界が近づいているという実感が語られた。
- 「あなたの回答の語数を教えて」という問いへのAIの回答の違いが面白かった、という小ネタが共有された。
- ある本の位置づけを尋ねて知識の全体像をマップ化する使い方が、自分の知識の枠を超えて広い見取り図を与えてくれるという体験が語られた。
- 障害・インクルーシブデザインとテクノロジーの関係を問う記事の共有と、それをめぐる関心があった。